インターネットが一般に普及してから約15年、様々な事がありました。
今回は、ISPについて少々書いてみたい。
ISP、一般的には単にプロバイダーと言う事が多い。
正確には、インターネットサービスプロバイダーである。
プロバイダーと言う言葉には、案内人の意味がありインターネットの案内人、仲介と言うような意味にとらえるべきだろうか。
日本のインターネット黎明期には、従量課金による接続料の発生が基本となっており、最初期では3分10円から高い所では1分30円などという所もあり、それとは別に入会金や基本使用料が発生するのが一般的である。
ともかく、個人で利用するとなると多額の使用料金が必要だった時代だ。
この使用料はインターネット使用料であるため、別途電話回線使用料が発生する。
そう考えると、インターネットへ10分接続すると最低でも80円程度は掛かることになる。今では考えられないほど高額なサービスだ。
1995年から夜間はテレホーダイがあったが、日中は従量課金が発生するので、常時接続など夢のまた夢の事であった。
黎明期にあったのはリムネットやJETON、BEKKOAMEなど。この中でもBEKKOAMEは他社に比べてとんでもなく安く、年会費2万円、入会金1万円と、3万円で接続制限がなかった。
リムネットは基本使用料1800円で7時間まで、それ以降は従量制で3分10円だが青天井なのでハマるととんでもない課金が発生することになる。
1995年に発売されたwindows95はインターネット標準プロトコルとなるTCP/IPを標準で利用が可能で、別売ながらもInternet explorer2.0(海外版は1.0)を売りはじめ、ほぼ標準でインターネット接続を実現した。
また同時期にネットスケープ・コミュニケーションズよりNetscape navigater2.0がリリースされ、長期に渡ってブラウザーを牽引していった。
この両者ブラウザーに関しては、また別の機会に詳しく書きたい。
これによってインターネット人口は爆発的に増加していく事になる。
それまでは高額だった高速モデムも低価格化され、一部のマルチメディアパソコンには標準でモデムがついてくるようになっていった。
需要が増えればそれに応じて様々な企業が参入してくる。
まさに、雨後のタケノコの様にISPも次々と設立されていく事となった。
そしてライバルが増えれば料金が下がるのは当然、徐々に従量課金と上限を定めた固定料金のプランが出てくる様になった。
パソコンメーカーやソフトメーカー、どこでもISP事業を始める時代となる。
パソコンメーカーやソフトメーカーも挙って参入をし始めた。
パソコン通信時代を乗り越え、インターネットでも一定の成功を納めている富士通はニフティーサーブをパソコン通信を続けつつ新しくinfowebを始めていく。
ニフティーサーブもインターネットへの接続サービスも行い始めるが、当初の利用料金はとてもじゃないが競争力があると言えるものではなかった。
同じくパソコン通信を行っていたNECはパソコン通信サービスPC-VANとISPとして新しくmeshを起ち上げてユーザーの獲得を狙った。
1996年にはパソコン通信の利用者減から二つのサービスを統合し、新しくBIGLOBEとして事業を開始し、現在に至る。古くから残るパソコンメーカー系ISPである。
富士通も1999年にinfowebとニフティーサーブを統合して@niftyとして生まれ変わった。
1995年から1996年に掛けては、多くのISPが誕生すると同時にパソコン通信時代の事業見直しも多かった。Asahi-netは1994年の段階でパソコン通信事業からISPへと方向性を換えている。
1995年から1998年頃まではISPの誕生ラッシュであった。
通信会社もソフトメーカーもISP事業を起ち上げた。ソフトメーカーといっても大企業ではなく中小企業のシステム屋等が副業の様にISP事業を始めることも多かった。
二次プロバイダーというIPX(IPエクスチェンジ、ISPなどの相互接続ポイント)に直接は繋がってない小規模のプロバイダーとして地方都市や、地元密着サービスを展開していた。
当時のインターネット人口を考えると明らかに過剰な数のISPが誕生していった。
わずか一年足らずでこのように多数のISPが現れた。
ダイヤルアップの時代は各家庭までの通称ラストワンマイルが低速であり、ISPのバックボーンが低速であってもある程度は賄えていたが、1999年頃から始まるブロードバンドと言われる時代になると低速バックボーンではどうにもならなくなってきた。
採算ベースが上がり中小のISPでは体力的に厳しく、淘汰の時代へ移って行った。
バックボーンの強加をしないと加入者は離れていくがバックボーンの維持にはどうしても多額の資金が必要となる。
加入者も余り多くない地方の中小企業ISPは廃業や事業の譲渡などが増えていき、淘汰される時代へと移行していった。
そんな中には白物家電を扱う家電メーカーが立ち上げたISPも少なくなかった。
元々自社で独立した回線を持っている企業は、そのインフラを生かしてISP事業に参入してきた。
松下、ソニー、三菱、三洋等、大手メーカーは挙ってISP事業を起ち上げていった。
松下はhi-ho、ソニーはso-net、三菱がDTI、三洋はSANNETとして発足していった。
各社は自社販売のパソコンやデジタル製品にもサインアップ可能なCDやツール、申込書などを添付し少しでも加入者を増やそうとしていた。
しかし、前述のニフティやビッグローブなどに比べてその会員数は伸び悩み、現在ではほとんどが事業の売却をしている。
そんな中でも家電系ISPで一番成功したのはso-netだろう。
so-netはソニーの完全子会社ではなくなり、ソニーの名前を使わなくなったが独立したISPとして確立されており他社に比べて成功している。
キラータイトルだったPostPet
これは、初期のPostPetブームやwebガジェットとして利用できるハーボットなどのサービスでユーザーをつかんだのも理由だろう。
ADSL普及時に突然イーアクセスと手を切ってアッカの契約だけに絞ったりしたのも今では懐かしい話だ。
家電ISPはほかのメーカーは散々なものだ。
hi-hoやDTIは事業売却、SANNETも細々と事業を続けるに留まっている。
現在では、通信会社大手のNTTコミュニケーションズが運営するOCN、Yahoo!BBなどが最大手ISPであり、会員数はOCNが800万人を超えているという。
しかし、固定回線を利用した会員数は頭打ちで、乗り換えや回線の切り替え(ADSLから光への変更など)を契機にしたものがほとんどだ。
この流れは今後も続いていくことだろう。
特に都心部では移動体通信が増えてきておりこれから先はISPは携帯電話ともシェア争いをしていかなければならなくなりそうだ。
今後も統合や淘汰が続くであろうISP、未来は決して明るいものではない。