インターネット昔話~課金体系の変貌

51_original
約一年ぶりに書きますインターネット昔話。今回はナローバンド(ダイヤルアップ)時代からブロードバンド時代への変化、そして料金に関することです。なお、料金については単にインターネットサービスプロバイダー(以下ISP)だけではなく、電話料金などについても思い出してみようと考えています。

課金地獄だったパソコン通信時代

インターネット前夜、まだパソコン通信が主流だった時代は課金がすべて高額でした。NECが主催していたPC-VANは月額2000円と固定料金だったのに対して、ニフティサーブは従量課金で1分あたり10円の課金、しかも青天井で果てしなく課金されるものでした。チャットなどしようものならば、あっという間に課金がとんでもない事になり、『課金地獄』に陥ります。携帯電話の『パケ死』が死語となったように今ではこのようなものは少なくなりました。

課金が高い理由は、ニフティサーブはFENICSという富士通で提供されていた閉域網が利用されており、専用線を利用したサービスでしたのでどうしても料金が高くなってしまうものです。実際にそこまで高い料金設定とする必要があったのかどうかは今となっては定かではありません。通信速度は2400bpsから9600bps、そして144000bpsへと上がっていきましたが、ニフティサーブではそれぞれ対応したROADと言うアクセスポイントを用意しており、せっかく高速モデムを購入しても設備が整っておらずに低速通信しか行えないという事もありました。また、高速通信の際には課金も高くなり、1分16円と2400bps通信の2倍(そのころには1分8円課金へと改訂が行われていました)になっていますが、通信速度は6倍。圧倒的な速度で課金は2倍だったため、掲示板のログなどを拾うための短時間接続ではお得になっていることもありました。もちろん、チャットなどをすればとんでもない課金が襲ってくるのですが……。

その後従量課金から半固定料金、そして完全な固定料金へと変わっていきましたが、その時には徐々にインターネットへの移行も進んでおり、ニフティーサーブとインターネットを両方使う人も多く出てきました。パソコン通信そのものが斜陽の時代へと向かっていった頃です。だいたい1996年までのお話です。

完全従量制と半固定料金が主だった黎明期

インターネットの最初のころはやはり従量課金が多く、高いところでは1分10円から、安いところでは3分10円というところもあり様々な課金体系がありました。ここでもニフティサーブ、パソコン通信時代と変わらない青天井の課金がありユーザーは新しい技術に触れるために多くの資金を投入していきました。もちろん、電話料金は別途必要ですのでISPの課金と電話料金を合わせると1万円、2万円と行くこともざらでした。

1996年には、夜間の電話料金が固定となるテレホーダイというサービスが開始されました。このサービスは夜間11時を超えると翌朝8時までが固定料金となり、毎月の通信費が大きく削減できるので、ヘビーユーザーを中心に利用者が増加していきました。この頃、11時になると一斉にダイヤルアップ接続を開始していた事から、繋がらない(話し中状態となる)ことが多くありました。この現象は常時接続が開始されるまで続き、多くのユーザーをやきもきさせる事が多々ありました。

半固定料金としては20時間まで1800円、それ以降は3分10円などといった料金体系が多く、サイトの閲覧やEメール……当時はまだ電子メールという言い方をしていましたが、これらを使うだけならば十分と言える料金体系だったこと、前述のテレホーダイなどの効果もあり徐々にインターネットは普及、マニアのおもちゃだったインターネットは一般家庭に普及し始めていきました。

電話料金の恐怖から解放された人たちは、今度はISPの料金を安くしようと考えます。このころは雨後の竹の子のように多くのISPが誕生しており、今ではあまり耳にしない二次プロバイダ、三次プロバイダと言われているものがあり、地元密着型でアクセスポイントも地域を絞ってサービス展開をする企業がいた時代です。

中小のISPはサービスの安定性や将来性に不安があったものの格安なものが多く、私が使っていたISPは月額1800円で固定料金と安く利用できていました。しかし、安いという事は理由があるわけで、繋がりにくいアクセスポイントだったりバックボーンが細く、ただでさえ遅いダイヤルアップ接続がさらに遅くなるのもざらでした。

   安く利用できるISPが出てくることでユーザー数も更に増加、中小のシステムベンダーや大手家電メーカー、とりあえずやっていますというようなISPも増え、まだ採算は手探りのままISPだけが爆発的に増加していきました。いわゆるインターネットバブルへ続く時代です。
   ちなみに二次、三次のプロバイダとは直接IX(InternetExchange)につながっていないISPで、上流にOCNを利用していたりKDDIなどを利用して接続回線を維持していました。遅延も大きく回線の太さも制限がありましたがダイヤルアップ時代は回線の太さと会員数のバランスが求められていたため、回線が細めでもシェアする人数によっては十分な速度で繋ぐことが可能でした。

ADSLサービスによる常時接続の時代へ

課金体系は徐々に下落する方向へ、完全固定料金にかわるまでそれほど時間はかかりませんでした。そして、1999年ごろから常時接続の波が訪れてきました。これによってISPの課金も電話料金も固定で利用できる、料金でびくびくせずに利用できる事から、インターネット自身が生活の一部と、あって当然という時代が来ました。同時に、課金もほぼ横並びとなりISPは料金メリットだけで選ぶ時代から変わっていってしまい、自社メリットを出すための様々な努力が始まっていきました。

その中で一社だけとんでもないことを始めるところが出てきます。当時を知っている人ならば、一度は見たことがあるでしょう赤い軍団。駅前に立ち強引にモデムを配り利用者を増やそうとし、さらに必要がないという人にまで料金請求を行い、他社の参入を妨げる行為を繰り返し、安かろう悪かろうを日本中に広げていった悪名高きYahoo!BBです。

Yahoo!BBの参入前はADSLで6000円が標準の課金で、5480円がひとつのホーダーラインでした。これに対しYahoo!BBは3000円を切る課金を発表、初期の事前予約だけで多くのユーザーの心をつかむことに成功し、インターネットを使っていなかった層まで掘り起こすことになったのでした。

しかし、開通までの納期がかかったり解約をしたくてもできなかったり、解約手続き中に課金開始月になり請求書が届いたりと大混乱を起こしていました。その結果、他社へ乗り換えを行おうとしても行えないという事も発生し、まさに『安かろう悪かろう』のサービスであることをまざまざと見せつけたところでもありました。

そんなYahoo! BBのやり方の末、各社は価格を落とさなければならなくなり8Mbpsダイヤルアップ時代では考えられないほどの速度を持ちながら4000円程度で利用できる事も多くなっていきました。同時に価格競争力のない中小のISPは廃業が相次ぎ、大手家電メーカーお抱えのISPもほとんど淘汰されてしまいました。

最後に私事ではありますが……

最初にニフティサーブを利用したとき、電話料金は1万円を超えました。そして、ニフティへの支払いも2万円を超えて計3万円程度の課金を支払っていました。多いときには5万円ほど払ったこともあります。ただ、私が使い出してすぐにテレホーダイが始まり、電話料金はかなり押さえられていましたが、その分ニフティに払っていたこともありましたが、おおむね3万程度が標準でした。

その後、しばらくしてインターネットへ移行し今ではJCOMとメールのみOCNを利用しています。併せて約6000円、当時の十分の一で快適な環境が整っています。ヘビーユーザーでなければもっと安い物もあるでしょう。時代の流れとはいえ、この15年間で下がりきった感じがあるインターネットの料金、飽和したこの世の中でこれからどのような展開となるのか、少し期待しながら見ていきたいと思っています。

フォローする

コメントを残す