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カテゴリー: ゲーム

  • 人気ゲーム『熱血硬派くにおくん』実写映画決定


    まさかまさかの実写映画化
    このゲームが流行っていたのははるか昔の話、1980年代後半から1990年代前半。
    丁度ビーバップハイスクールが流行っていたり、この手のやさぐれた描画が好まれていた頃の話だ。
    まあ、未だに化石種と思える程度には生き残っているが、廃れたスタイルだ。
    それが今更復活とはまさに誰得、というところだろうか。

    ちなみに、このくにおくんシリーズを作っていた「テクノスジャパン」はその後廃業、倒産となっている。
    くにおくんだけに頼り切ったゲーム作りは時代に取り残されていった。この様は何処と無くボンバーマンと桃鉄だけに絞り込まれ、徐々に衰退して消えて行ったハドソンとかぶってしまう。

  • KLab、マイクロソフト「Age of Empires」で提携

    http://ascii.jp/elem/000/000/802/802401/?mail

    リアルタイムストラテジーの名作といわれたあのAoEがスマホ版で帰ってくることになった。正直これは嬉しい、結構前から待ち望んでいたのだが全く音沙汰がなかった。

    たしか、このAoEを作成していたスタジオは解散し、一部の開発者が似たようなゲームを発売していた気がした。版権は持っていても出すつもりはなかったのだろう。そこで、別の開発会社が名乗りをあげたってところだろうか。

    何にせよ嬉しい、あのゲームのインターフェイスはタッチパネルならば十分生かせるだろうし、後は売り切りになるのかアイテム課金にするのかという点が気になるところだ。

    アイテム課金はやめて欲しいなあ…。

  • 消えたゲームメーカー、ハドソンはなぜ消えたのだろうか

    hudson

    かつてファミコンブームという時代があった。その中で、任天堂のセカンドパーティーとして隆盛を極めたたメーカーがあった。
    その名はハドソン。ファミコンブームに乗って走り、そして消えてしまったこのメーカーはなぜ消えてしまったのだろうか。
    今回はゲームメーカー、ハドソンに焦点を合わせてみたい。

    札幌の雄

    ハドソンが産声を上げたのはまだパソコンが現れる前、1973年にアマチュア無線の販売ショップがその原点だという。
    アマチュア無線機器の販売から1979年にシャープのパソコンの販売を開始。
    そこでオリジナルのソフトウェアを開発し、大きな利益を上げたことにより、シャープにハドソンありと言われるほどの規模へと成長していった。
    MZ-700というホビーパソコンでは、MS-DOS互換のHu-DOSを開発、標準添付されるなど高い技術力を持っており、業界では屈指のソフトハウスとなっていった。
    また、1984年に誕生した家庭用ゲーム機ファミリーコンピュータでは、その初期からソフトウェア開発にあたり優遇処置を受けたメーカーの一つともなった。
    生産を任天堂に委託しなくてもよい事や年間発売本数の制限を受けないことを受け、自社がパソコンゲームとして発売したゲームの移植や他社のアーケードゲームの移植、ファミコン初期であったこともあり売り上げも高く、外れもあったとはいえ平均して高い品質のゲームを供給し続けていた。
    中でも、ロードランナー、チャンピオンシップロードランナーなどは移植元となったブローダーバンド社をもうならせるほどの出来栄えで、技術力のハドソンを見せつける結果となった。ほかにも自社の名作とも迷作ともいわれる、サラダの国のトマト姫や、テーカン(テクモの旧社名)がアーケードに出していたスターフォースのファミコンへの移植など、家で遊べるアーケードゲームを数多く輩出していくことになる。
    そして、このファミコン時代に行ったイベントで、忘れることができないのが「全国キャラバン」だ。
    この全国キャラバンは宣伝などを兼ねた全国規模でのゲーム大会で、デパートなどに特設会場を設置し各地でゲーム大会を行っていく。

    高橋名人による名人ブーム

    この時に中心となった人物が高橋利幸、高橋名人である。高橋名人はファミコン名人と銘打ってゲームの指導役を行っていた。
    チャンピオンシップロードランナーを日本一早く攻略した人、秒間16発の連打でシューティングゲームを攻略していくなどそのアピール度は高く、各地で人だかりができるほどだった。
    もっとも、チャンピオンシップロードランナーに関しては、ハドソンが開発しているので、一番最初に攻略するのも当たり前のこと。16連打に関しては実は最大で17連打以上をマークしていたが、コンピューターで利用する16進数にかけて16連打としたという。どちらにしても、痙攣うちと言われる方法で秒間16連打はかなりのものである。
    キャラバンに話をもどそう。このイベントは南側と北側から始まっていき、各地で小学生を中心としたファミコンゲーマーを熱中させた。南キャラバンには高橋名人が、北キャラバンには毛利名人がそれぞれ担当して各地を回り、大盛況となった。
    最初のキャラバン1985年に前述のスターフォースが使われ、その翌年1986年にはハドソンオリジナルのシューティングゲーム、スターソルジャーを利用してキャラバンが行われていった。このスターソルジャーのキャラバンは、二人の名人による映画の影響もあり、大きな盛り上がりを見せハドソンとキャラバンという二つの名前を紐づけることになった。
    この高橋名人のブームによって、ハドソンは他社以上に名をあげてついには自社でハードウェアを出そうと模索するところにまで至った。
    ちなみにこの当時は名人ブームがあり、バンダイの橋本名人、ナムコの河野名人などが現れたが、いずれも短命に終わっている。

    天下取りの野望

    そして、その後ハドソンはCPU開発にまで手を染める。ファミコンに搭載されたモステクノロジー6502のカスタムチップだったリコーRP2A03と同じく6502をベースとしたカスタムチップを開発。それと同時にグラフィックチップなども開発しHuシステムとしてファミコンより大幅にグラフィック・サウンドをパワーアップさせた。
    そして、そのシステムを利用して開発、発売されたのがPCエンジンである。
    発売こそNECホームエレクトロニクスだが、ソフトウェア、ハードウェアともに開発の中心にいたのはハドソンであり、ゲームソフトもハドソンがメインとなって開発をしていった。
    ハドソン単体ではハードホルダーとしての体力にかけるため、コア構想という今でいうセットトップボックスのような構想を持ち上げてNECと提携。長年のパートナーであった任天堂に対抗し始めた。
    その初期こそヒット作を出しているが徐々に売り上げを落とす。3年先行して発売したというメリットがあるにも関わらず、任天堂のスーパーファミコンには対抗することができなかった。とはいえ、ソフトウェアとしてはハドソンがファーストパーティーとして様々なソフトを開発していたため、PCエンジンで無ければできないソフトもあったため、対抗というよりは棲み分けができていたという言い方もある。
    ハドソンはPCエンジンのファーストとしてだけではなく、ファミコン最後のソフトとなった高橋名人の冒険島4なども提供し、ファミコンのサードパーティーとしての働きも続けていた。
    この辺がほかのハードホルダーと異なる部分といえる。
    PCエンジンの事業が失敗に終わり、パートナーだったNECがゲーム機事業から撤退。さらに世の中はバブル崩壊というつらい時代へと突入していく。

    そして斜陽の時代へ

    毎年のように焼き直ししただけのような桃太郎電鉄(通称桃鉄)を出し、対戦型のボンバーマンを焼き直しでで出して行く一方で、任天堂のセカンドパーティーとして下請け開発を数多く手がけ、安定した業績を上げることに成功していた。特に、Nintendo64から続いていたパーティーゲーム、マリオパーティーはそのほとんどの開発をハドソンが行っており、相変わらずの技術力を垣間見ることが出来る。

    そんな中、ハドソン最後の花火だったのが2006年、完全とは言えないまでも全国キャラバンを復活。懐かしい黄色いキャラバンカーを走らせ、そこに寄せ書きを貼っていくというイベントを行った。このときすでに会社の解散などが考えられていたのかもしれない。すべての場所ではないが、高橋名人も参加しての懐かしいキャラバン、当時子供だった人たちも胸を熱くして参加していたという。そして、子供だった頃にあったキャラバンを自分が大人になって、子供を連れていけるという事にいろいろな思いを込めた人も多いという。

    技術力の高さはあったが、オリジナリティに優れたというところがなく、前述のスターソルジャーもスターフォースというお手本があったからこそ排出できたソフトウェアで、のちの主力となるボンバーマンはパソコンゲーム時代の爆弾男というソフトをリメイクしたようなものであった。また、ほかのハードホルダーが持っていたような魅力あるキャラクターを作ることができなかったため、イメージキャラクターのようなものを作ることもできなかった。
    任天堂にはマリオやリンク、その他多くのキャラクターがいるようにソニーにはトロとクロが、セガにはソニックが記憶に残るキャラとして作成されている。ハドソンはしいて言えばボンバーマンかもしくはメーカーのロゴにあったハチ助くらいのものだ。これは魅力あるキャラクターなどを作り出すことができなかった、

    もしも拓銀が破綻しなかったら、もしもPCエンジンで任天堂と袂を分かつ事がなかったら、もしもハドソン時代にパズドラを出せてたら…そんな空想にひたるのもおもしろいかもしれない。

  • 【無料アプリ】AirAttack HD~スマホでシューティング

    AirAttack HD Part 1無料

    スマホでシューティングゲームは無謀だなと思いつつやってみました。
    こちらは体験版の扱いになるpart1なので、無料です。
    操作方法はいくつかありますが、初期設定はタッチだけでの操作です。
    2012.01.05-10.43.17
    画面構成は無料とは思えないほどちゃんと作り込まれています。
    自機は2機種あり、コルセアF-4Uと思われるものとライトニングP-51と思われるものです。
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    ショットの特性が違うのだと思いますが、ライトニングは火を噴くって所しか違いがわかりませんでした。

    とにかくよくできていて、結構弾幕がありますがあたり判定が大きいので指先が痛くなるほどやり込めそうです。
    ライフ制なので、1発で死なないところもいいです。
    結構トリッキーな動きをする敵が多いので、連発でダメージを食らって沈没なんてのも珍しくありませんが、それも楽しさの一部でしょう。

    Googleのお薦めに入っているのがよくわかります。
    タッチパッドでシューティングなんて、罰ゲームだろ?と思っていた私の考えも少し変わるほど(笑)
    ぜひお薦めです。

  • GREEはゲーム事業をなめている、そう思えてならない。

    こんにちはtknriiiiです。
    TGSもいまいち盛り上がりに欠けたように思えました。
    恐らく、気のせいでしょう。何せ今年は過去最大の入場者数だったと言うことですし。
    ただ、PSVITAの事で書きましたが、事前に行われたカンファレンスがあまりの衝撃だったのでそう思ってしまったのでしょう。

    さて、今日書いておきたいのはこの事です。

    この発言、どう考えてもクリエイターを馬鹿にしているとしか思えません。

    早い話、自分がブームや流行を作ろうというわけではなく、作られた流行に乗ってもうければいいじゃないかという事だ。
    こんな事を平気でいえてしまう、そんな人間がソーシャルゲームしか流行らないと言うようなことを言っている。
    単にゲームが今までどうやって発展してきたのかがわかってないだけなのかもしれません。
    同じようなものを作りまくって、廃れたらやめる。
    似たようなことは今までもたくさんありました。
    シューティングゲームが流行ったらシューティングゲーム一色になり、テトリスブームから始まった落ち物ゲームに関しても同じ、似たような物は数多く出てきました。
    しかし、それぞれのメーカーが同じようなものにならないために工夫を凝らす。
    そうしてブームや流行ができてきた。私はそう思います。
    そして、もう一つあるのは似たような物、つまりパクリゲーはあくまでもパクリゲーでしかありません。
    本家を超えることができません。

    この人はゲームをビジネスとしてとらえているのではなく、ただの搾取するだけの方法とみているようです。
    しかも、コバンザメの様に自分から何かを作るわけではなく、他人のブームに乗って。
    ソーシャルゲームが主流となり、新しいブームを作るのは一体誰でしょうか。
    緩やかに死を迎えるだけで新しい物が出てこない、そんな世界になってしまいます。
    私自身はGREEもモバゲーもやってません。
    どんなゲームがあるのかもよく知りませんが、mixiやiPhoneの無料ゲームレベルの物なのでしょう。
    ソーシャルが今後どうなっていくのか、正直言ってわかりません。
    ただ、こんな発言を公の場で行う人間が今後は自分たちの時代だ等と言われる様ではゲーム業界は終わりです。
    これから先、法規制がもっときつくなっていくと思っています。
    そのときに、「儲からなくなるからやめます」で簡単にやめそうな人間、そんな信用できない人間がトップにいる業界、そんな業界にはなってほしくない。そう切に願います。