PC好き、ガジェット好き、平凡な日常大好き

カテゴリー: 旧式PCたち

  • 何でも箱を漁っていたら

    なんかかこのものを取っておいてある私の中での通称「何でも箱」ってのがあるんですけど、そこに入っていた物が懐かしかったんでちょっと画像撮ってみたりしました。

    何かというと、古めのCPUです。2009年~2010年ごろに購入して2015年末ごろまで使っていた私の使っていた中でもかなり長い間使っていたものです。その頃は5年以上も同じPC使ってるなんて珍しい事だった事やこのCPUを使った自作PCが今では最後の自作PCとなっています。この後中古のMK31というNECのパソコンを買って、その後OMEN 30Lへと続くので。
    まあ、そのMK31もCPUをi5にしたり、CPUファンがぶんぶん回っても2020年冬まで使っていたので、ここ最近はPCを長く使うようになったなと感じています。
    それにしてもこんなものはこんな物はもうゴミでしかないので捨てれば良いんでしょうけど、なんとなくCPUとかコレクションじゃないですけど取っておいてもいいななんて思ってます。

    ちなみに、CPUファンぶんぶん回ったi5-2600Kも残していますし、その時に入れ替えたi3-2100も残しています。i5-2600Kは買ったときの箱ごと残しておいてあって、そこにi3-2100を保存していました。って考えたら、PC買わなくてもCPU戻せばそれで使えてたんじゃないかとか思ったりもしました。
    まあ、そうは言ってもSandy Bridge世代って2011年ごろ発売されていた物なので、すでに11年前。ちょっとウェブを見てたりする程度ならばそこまでの不満はないかもしれませんが、さすがに古い物というイメージが強くなっていますね。

    特にi3-2100に関してはオークションサイトなどで調べても、数百円から高くても1000円程度の価格帯となっており、今更大事に獲っておくような物でもありません。なんか探せばもっと古いのも出てきそうだなとか思ってるのでまたそのうちに漁ってみたいと思います。

    ちなみに、PCって中身ばらして箱だけ捨てたい場合って不燃ゴミで良いんかなあ…。いくつかあるんだよねそういうのが。

  • 実は密かに

    Eee買ってます。
    旧モデルといえるEee S101を芋場とセットで。
    元々芋場契約して外でも使えるようにしたいとずっと思ってたんだけど、それに見合うだけのバッテリー駆動できるPCを持ってなかったこと、ぷーしててそんな金はどこにもなかったこと、むしろぷーだったら必要がなかった事。
    そんなところから無理していらねえと思ってました。
    元々、外でも使えたらなあ、ちょこっと使うのにケータイ以上、でかいPC未満なものがほしいなあとかは思ってました。
    ぷーから仕事する人になって、通勤時間も結構長くなったことから、じゃあ暇つぶしできる…というか通勤時間を有意義に過ごすためのツールがほしい。
    って事になったわけで、かといってシャープのアレとかやっぱりシャープが出してるアレとかは実に微妙。
    値段も使えることも中途半端すぎる。この程度なら普通のケータイでもいいんじゃね?と思ってしまう。
    かといって秋に買ったdv4aはでけえし重てえ、どっちにしろ今のケータイで通信を行うと青天井では無いにしろ、上限が13000円近くまで跳ね上がるんで非効率的だ。
    今の所有物でモバイル通信を行うのは非現実的といえる。
    ならば、出先でネットつないだりちょこっとテキスト打ちができたりして、それでいて軽くて…と色々考えていたところ、たどり着いたのがS101でした。
    901XはSSDが小さすぎるし、液晶も小さい分キーピッチも小さい。テキスト打ちにはやや不利な状態。
    かといって1001H系は1.5kgと重くなる。まあ、主にバッテリーの重さだけど。
    その中間地点くらいのが無いかと探していたら、S101にたどり着いたわけで、こいつなら俺の用途を考えたら十分なんじゃないかと思った。
    大容量バッテリーも純正品じゃないのを購入して、長時間駆動が可能な状態となりました。
    毎日朝夜の通勤に通信しながらだらだら+昼休みにだらだら通信+スタンバイモードで残りの時間を過ごしても家について50%切らないバッテリー量、これはわざとでかいのを買ったのもあるけど。
    片手でも持てる重さ(バッテリーを変えても1.25kg程度)だし、まあ片手で扱うことはあんまり無いけど。
    ゼロスピンドルなので鞄に入れて持っていても精神衛生上良い(HDDでナーバスにならんですむw)

    つーわけで、今じゃいつでも鞄に入れてます。
    さすがにたったまま操作はしないけど、今の通勤時間ならばだいたい朝も夜も座っていける。
    だから、その間は大活躍してるって事です。
    どれくらいの活躍かというと、今まで1週間程度でパケット上限まで行っていたauのパケット代、今月は昨日までの時点でなんと

    1130円

    ダブル定額ライトの契約なので、基本部分が1000円、それを超えたのが130円って計算です。
    ああ、PC持ち歩くとこんなにもパケット通信ってしないんだ、と自分でもびっくりしてます。
    そしてやっぱり・・・ワタシはネットジャンキーなんだなと実感しました(笑)

  • PC-486MV購入記

    型番PC-486MV2JM
    PC486MV20
    CPU:Intel486DX266MHz
    HDD:340MB IDEドライブ
    MEM:標準3.6MB(最終的には23.6MB) 最大63.6MB
    CD-ROM:4倍速
    スピーカ、17インチマルチスキャンディスプレイ付
    グラフィック:CL-GD5428 VRAM1MB
    その他:付属ソフト各種。代表ソフトMS-Works(ビジネス総合ソフト)
    拡張スロット:Cバス3スロット
    当時の購入金額標準価格39万8000円た
    1994年5月、横浜ビックカメラにて23万円くらいで購入。
    細かい金額は忘れました。

    1995年、パソコンを誰でも簡単にという謳い文句の上、Windows95が発売された。
    このPCはその発売より数ヶ月前に買われた物だ。
    このモデルの発売は1993年11月だったため、買ったときには春モデルが出た直後くらいで結構値下がりしていた。
    Windows95自身は、結果としてそこまでパソコンの利用者を飛躍的に増やし、スタンダードOSとしての地位を確立した。
    新しくパソコンを買って使おうと考える人間にとっては確かにマウス操作で取っつきやすく、ハードウェアの増設をしてもplug and playが効いて自分でドライバーを組み込むという作業は最小限に抑えられた。
    しかし、前述の通り簡単とは言いつつもやはり細かいところは自分で設定をしなければならないし、いろいろと問題が発生すれば自分でトラブルを解消しなければならない。
    それまでに使っていたPC-486SRはパワーアップをかなりしていたため、パフォーマンスの不満は感じていなかった。
    しかし、HDDの容量がが小さく、新しいアプリケーションのインストールのためにほかのソフトをアンインストールしなければならないほどにまで切迫していた。
    それまで使っていた486SRというマシンはHardDiskPackと呼ばれていた、当時のEPSONノート用に使われていたHDDを使用している。
    抜き差しが簡単で増設しやすかったのだが、すでに一般的になっていたIDEなどに比べると割高になってしまっていた。
    そのため、大きな容量に買い換えるのもどうかと思っていた。
    それと、妹が引っ越す際にパソコンがあったらいいかもなんてことを言っていたので、新しいのを買って古いこいつを渡すという事になった。
    購入に当たっては、いくつか考えなければならないことがあった。
    まずは、PCそのものをどこのメーカーにするべきなのか、ディスプレイはどうするべきかだ。
    ディスプレイについてはノーマルディスプレイではなく、マルチスキャンディスプレイへと変えたいと思っていた。
    少なくとも15インチ以上の大きさがいいとも思っている。
    メーカーに関しては、NEC製PCは例によって買う気がない。
    IBMを含めたDOS/Vと言われるパソコンもいじったことがないためか、未知の存在のように思えていた。
    それに加えて、それまでに買ったゲーム類やアプリケーションのたぐいはMS-DOSで動くものも少なくはない。
    つまり、DOS/Vに移行するということは、それまでのそういった遺産をすべて捨てるという事を意味している。
    その当時は、過去の遺産をすべて捨てる事は考えていなかった。
    PC-98系統マシンとDOS/V系マシンのうち、DOS/Vを使わないとなると自ずと98マシンとなるわけだ。
    しかしながら、NEC製を買う気が無いということになると、やはり互換機であるEPSONのマシンと言うことになる。
    私が互換機を好むのは、やはり値段だ。当時のNECは安くなったとはいえどもまだまだ高いパソコンが多く、互換機に比べて割高でありながら仕様が劣るという状態が続いていた。
    私の普通の用途というのは、少しCADができて、少しBASICでプログラムができて、ゲームができていればそれで良いのだ、無駄な仕様のPCはいらないのだ。
    だが、これから先…つまり新しいOSが出てくることでその用途は広がっていくことがわかっている。

    実際に、買おうと決めてからいろいろと店をみて回ったのだが、ディスプレイ付きで安いPCというのは少ない。
    どうしても30万近くになってしまうのがほとんどだった。
    まあ、仕方がないところだろう。まだマルチスキャンディスプレイもそれなりに高い頃だったし…。
    話を戻そう。
    この時代になると、そういったマルチスキャンディスプレイもDOS/VとPC-98では差が無くなり、同じ解像度を表示できるようなものに変わっていった。
    つまり、実際にはこの時点でPC-98を選ぶ必要はなかった。
    しかし前述の通り、98マシンで無ければ動かないアプリケーションの関係や、会社で使っていた見積もり作成や技術計算はすべてBASICにて作られていたため、その辺が動かないと困る事があるため、98マシンを買うということしか考えてはいなかった。
    早い話、Windows時代に移ろうとしていても、DOSアプリケーションへの依存はつづいていたと言うことだ。
    結果として、買ったのは486MVというマシン。
    エプソンの98互換機だ。CPUは前のSRの最後と同じ486DX2-66MHzだ。
    あえて上位のCPUにしなかったのは、単に価格の問題だ。
    また、このマシンは486CPU搭載したEPSONPCとしては最後の方にリリースされたPCとなっている。
    すでにPentiumマシンが出始め、EPSON自身もPC-98互換機ではなく、AT互換機の方へとシフトする気配を見せていた。
    元々はOADGの会員でもあるんだし、すでに役目を終えつつある98アーキテクチャーから移行するのは仕方がないとも考えられる。
    店頭にて購入し、配送を待つばかりとなった。
    さすがに、ディスプレイと本体が一緒では、持って帰ることは不可能に近い。
    今までは、本体だけだったりディスプレイだけだったりなので、自力で持ち帰っていたのだが、さすがにこれは無理だ。
    自宅に到着したマシンを組み立てシステムを起動する。
    まだWindows3.1が搭載されているのだが、(95は発売されていない)プリインストールとなっているので、何もしないでケーブルをつないで電源を入れるだけである。
    システムはおろか、HDDすらついていなかったため苦労した386BOOKや486SRとは大違いだ。
    さて、マシンを立ち上げた後に説明書を一通り読んでみる。
    基本的な部分は今までと変わらないはずだが、付属にいろんなソフトがついているという。
    基本的にはあまり使わないものなのだが、ついているならば…と思い説明書だけは読んでおいた。
    こういった説明書を読むのは嫌いではない。むしろ好きな方だ。
    このマシンで一番多く行っていたのは、やはりNiftyServeのCB、つまりチャットだ。
    用途としては、特に今までと差は見えない。
    マシンスペックだってほとんど変わりがないのだから当然といえば当然だろう。

    前のPCよりメモリが減ることとなったのだが、すぐにメモリも買い足した。
    このパソコンは最大で61.6MBのメモリを搭載することができる。
    最終的には23.6MB(24MB)まで搭載した。
    唯一、HDDの容量が増えたことだけがメリットとしてあげられる。
    HDDは340MBと、それまで使っていた200MBの1.7倍ほどの容量を持つ。
    問題としては接続に使っているIDEというHDDを繋いでいるポートの制限があった。
    初期のIDEは、それほど大容量のHDDを搭載することを前提としていたわけではないため、当時あったのが540MBの壁といわれる問題だ。
    詳細についてはここではあまり書かないが、早い話540MB以上のHDDを搭載しても540MB以上を認識しないという問題があった。
    これは、問題というよりもIDEの仕様であったため、その仕様を変更してEnhanced-IDEなどが作られたりしていった。
    閑話休題
    この140MBの違いはかなりかなり大きかった。
    何せ、一般的なアプリケーションはだいたい10MB前後に収まっていたし、オフィス系のでかいものであっても100MBなんて容量を使うことは無かった。
    最初の方に書いてあるが、一太郎5が20MBとかなり大きかったように覚えている。
    しかし、ゲームとなるとまた話は別になってくる。
    今のようにCD2枚組とかインストールに1GBとかそういう無茶は言わないが、それでも50MB単位で容量を使うことが多かった。(特にエロげーにこういった傾向が見られていた。)
    そうなると、340MBのHDDなんてあっという間にパンク状態となる。
    そこで考えるのはやはりHDDの増設だ。
    IDEのHDDを内蔵できるスペースは無く、内蔵型の新しいHDDを買うか、外付けタイプを買うという選択を迫られることとなる。
    しかし、今まで持っているデータを考えると、内蔵のHDDを入れ替えるというのは非現実的だし、当時の俺はメモリやCPUの取り替えはしたことがあったが、HDDの入れ替えはしたことがなかった。
    内蔵では搭載できないとなると、外付けタイプということになる。
    外付けHDDとなると、やはりSCSIということになる。
    HDDを買いたいと思っても、なかなか買うこともできない。
    今のように安い買い物では無かったからだ。特に、外付けタイプにするとなると、別途SCSIカードが必要となる。
    両方をあわせると結構な値段となる。
    そんなとき、通い詰めた渋谷のビックカメラを見てみると、なんと外付けのSCSIカード付きHDDが売っていた。
    価格は確か4万円前後だったと記憶する。
    容量は1GBだ。
    GB、ゲームボーイではない、ギガバイト。
    当時の俺は、GBという単位もろくに聞いたことがなかった。
    横に小さく1000MBと書いてあり、Megaの上がGigaだと知る程度の知識レベルだ。
    何度も言うが、HDDは当時高かった。
    その証拠に、340MBのHDD搭載モデルと540MBのHDD搭載モデルでは定価ベースでだいたい2万円ほど違っていた。(あくまでも定価ベースなので、実際にはそこまでの差はない)
    SCSIカード付きなので、別に何かを購入する必要もない。
    それを考えると、かなりのお買い得品と言うことになる。
    即座に購入を決めて、家に持って帰っていった。
    ドキドキしながら、つないでみると…動かない。
    厳密に言うと、認識をうまくしていないようだったのだ。
    つまり、HDDが存在しないとみてしまっている。
    BIOSでは認識をしているのだが、Windows上で使えない。
    初期化すら行えないのだ。
    仕方が無く、翌日メーカーに電話。
    連絡をしてみると、付属のSCSIが悪いのかHDD本体が悪いのかがわからない、代替え品を送るので、使ってみて欲しいとのことだった。
    もちろん、機種などを確認して動作保証とれていることは確認済みだ。
    数日後、到着したHDDをつけてみるがやはり動かない。
    ボードを交換しても結果はまるで変わらなかったと言うことだ。
    仕方が無く、翌日新しいSCSIボードを買った。確か1万くらいしたと思った。
    BIOSで認識していると言うことは、HDDそのものは死んでいない。
    ボードとの相性やWindows3.1との問題だと判断したからだ。
    結局ボードを変えたところ何ら問題なく使えるようになってしまった。
    俺の一番嫌いな「相性」に見事にはまってしまったようだ。
    ただ、2枚のボードで同じ現象だったので本当に相性かどうかはわからない。
    結果として、ボードがうまく動かないことが判明したのだが、メーカーからの連絡も特に無いまま、過ごしてしまった。
    本来は返すべきHDDもそのまま…まあ、言ってこない方もアレということですましてしまった。
    結果としてHDDが2台に増設され、2GBの容量を持つこととなった。
    速度はそれほど速く無いが、求めていたのは速度などよりは容量だ。 HDDの高かった時代だけに、求める方向が違っていたのだろう。
    大容量のHDDができたことで、今までちまちまと入れていたアプリケーションも簡単に入れることができる。
    それに、データファイルなどの管理もこのころ始めたような気がする。
    それまでは無造作にあちこちにファイルを保存していたのだが、一カ所にまとめるようになった。
    また、フロッピーディスクの使用率が格段に落ちた。もちろん、バックアップをとるという意味で一部は使っていたが、ほとんどHDDに保存するようになっていったため、フロッピーの使用頻度は落ちる。
    これは当たり前のことだと思う。
    誰だって遅いフロッピーをデータ保存として使うのはなるべく避けるだろう。
    後はWindows95の発売を待つだけとなった。
    まず、11月頃にNECとAT互換機のWindows95が発売される。
    その時会社でも一部導入と言うことになったので、試しにそのときに使用していたPCに入れてみた。
    機種名は確かXa9だったと思う。
    Pentium-90MHz+メモリ16MB(15.6MB)のマシンだったと思うが、正直起動に時間もかかるし使うには厳しいと判断をした。
    まさかここまで変わっているか…と思われるほどだった。
    確かにインターフェイスも使いやすくはなっているような感じはあるが、一つ一つの動作がいまいち遅い。
    CPUにて数段劣る自宅のPCにこのWindows95を入れるとどうなるのか…と不安を感じ始めていた。
    実際のところ、Windows95の発売直後は最低メモリが8MB必要であるということくらいしか気にしていなかったので、倍の16MBでこの動きとは思ってもいなかった。
    EPSON版Windows95は、年明け2月から出荷開始。
    しかも、通信販売のようにEPSONへ注文する形でパッケージ販売もされることはなかった。
    当時のEPSON

  • Let’s note AL-N2T520J5購入記 その1

    マシンスペック
    CPU MMXPentium Processor 200MHz
    HDD 2.1GB
    メモリ 標準32MB/最大96MB
    グラフィック NeoMagic社製 NM2160
    10.4インチTFT液晶 SVGA(800×600ドット 6万色表示) 
    購入金額 中古にて、横浜ソフマップギガストアにて12万

    2台目のLet’s note。
    今まで使っていたLet’s noteも快調に動いていたが、やはりPentium120MHzではパフォーマンスの低さが目立ち、ちょっとしたテキスト打ちなどはいいにしても、ホームページの作成などではつらい部分があり、買い換えを考えるようになった。
    ノートパソコンに必要な条件として、いくつかあげてみる。これは、私がモバイルノートに求める最低条件といっても良いだろう。
    据え置きタイプのノートに比べて求める条件は高くなると思うが、それでこそのモバイルノートだと思う。

    1. キーボードは大きめで使いやすい方が良い。
    2. 液晶の解像度は大きめでXGA以上の表示ができるものがいい。
    3. 入力デバイスが使いやすい、または簡単に扱えるものが良い。
    4. バッテリでの駆動時間は、最低でも2.5時間以上。長ければ長いほど良い。
    5. 軽量、コンパクト。このコンパクトは、薄さのことだけではない。
    6. なるべくタフなもの。衝撃や耐圧性に優れるものがいい。 
    7. 安い(笑)
    8. モバイルであればCDやFDは外付けで良い(もしくはFDはいらない)

    とこんなところをあげておこうと思う。

    こんなところを見ていて、今回候補に上がったのは以下の機種だ。

    1. VAIO C1(もちろん中古)  14万~(若干程度によって差があり)
    2. ThinkPad240(新品20万くらい) 20万~(中古で19万ってのもあった)
    3. Let’s note AL-N3T516(中古)  10万 (64MBのメモリ増設済、A4サイズであることがネック)
    4. Let’s note AL-N2T520 12万  (メモリは32MB、モデムのケーブルが無く通信不可)
    5. VAIO N505/BP 24万  (品切れ 安い割にCDがついていたりお徳だった)

    と、全部で6機種。
    全体として、25万以下でCDドライブはC1とThinkPad240以外は搭載、もしくは外付けで付属されていた。
    今考えてみると、同じような用途で使おうと考えていてもスペックなどがかなり異なる。
    悩んだ最中考えたことを1つずつ書いていこう。

    まず、VAIOのC1だが、これはMotionEyeという33万画素のデジタルカメラが液晶の上部についている。
    液晶は横長の変則な解像度となっており、1024×480ドットと縦方向はかなり狭い。
    それらを含めて特殊仕様の部分が多く、癖がある。
    CDドライブは別売。USBでブートできるCDドライブは大体2万円前後はする。
    バッテリの駆動時間は1.5~3時間程度と短い駆動時間となっている。
    中古と言うこともあるのでカタログスペックは当てにならない。
    また、後に知ったのだが、当時のソニーは独自のバッテリ駆動時間を表記しており、実際にカタログスペックのような駆動時間はできなかったという。
    外付けのバッテリを持っていたが、このPCのメリットはその小ささと軽量な本体であることを考えると、その優位性である軽量コンパクトというところが崩れてしまう。
    ほかのPCを選んだとしても大差が無くなってしまうといえなくもない。
    次に、ポインティングデバイスだが、トラックポイントがついていた。
    トラックポイントは以前のINNOVAが同様のポインティングデバイスを使っており、その操作性については評価が高い。
    ポインティングデバイスはできればこのトラックポイントを搭載したものを購入したいと考えていた。
    HDDは3.2GBと無難にまとまっている感じがある。用途を考えてみれば、それくらいのディスク容量があれば十分使用に耐えることができる。
    同系統のノートPCとして、 C1RやC1Sなどもあるがそれぞれ15~16万前後になっており、スペックや用途を考えると、そこまで出すのであればもうちょっと出して新品を買いたいと思う。
    また、展示品に関しても、自由にさわれるところには一台も置いていなかった。
    すべてがショーケースに入った状態でかなりの台数が展示されていた。
    このVAIOのC1は小型マシンとしてはそれなりに評価されているはずで、世間での評価はまずまずよかったはずだ。
    それにしては、中古市場に流れすぎているなあ…というのが感想だ。
    中古の流通量が多いのはほかに何か問題があると考えざるを得ない。
    もちろん、後継機であるC1RやSが出ていることも原因の一つだろうが、ただそれだけが理由とは思え得ないところもある。
    個人的な評価としては大きさは問題なく、トラックポイントを搭載している点など、評価できるところもあるのだが、逆に独自仕様の部分もあるため無理な作りとなっている本体や、いらないソフトを強制的にインストールさせられてしまう部分などが気に入らなかった。
    また、CDを別途買わなくてはいけない事、バッテリの耐久性の問題などが絡み合って、C1は最初のうちに候補から外れていった。
    続く。

  • CANON Innova 486CS/340購入記

    当時の購入金額 9万8000円 渋谷ソフトクリエイトにて購入
     
    仕様

    CPUCyrix486DX4(75MHz)
    標準8MB(オンボード8MB)
    最大24MB
    VRAM1MB
    グラフィックチップOpti 92C178
    表示素子10.4インチ DSTNカラー液晶(SVGA)
    本体液晶解像度 : SVGA/800×600ドット(256色) : VGAへの切替え可
    FDD3.5インチFDDx1、3モード対応(1.44MB/1.2MB/720KB)
    HDD340MB(EIDE)
    ポインティングデバイススティックポインタ
    外形寸法297(W)x215(D)x53(H)mm
    重量2.7Kg
    初期導入OSMicrosoft DOS6.2/VおよびMicrosoft Windows3.1

    こいつを買ったのはそれまで活用していた98互換機のPC-386Book LXがほとんど起動しなくなった頃だ。
    HDDが死んだと思われる状態だったんだけど、すでにかなりの型落ちの386CPUを積んだラップトップで、EPSONのノートPC(および一部デスクトップ)独自のインターフェイスを使っていたため、搭載できるHDDはすでに市場には無かった。
    すでに98アーキテクチャが斜陽の時でありEPSONは98互換機の生産からほぼ撤退している感じでもあった。
    中古市場で探してもジャンク品扱いばかりで、しかも絶対数が少ない。
    見かけたことがあるのは980円のジャンク品などばかりで、動作保証はおろか、動作検証すらしていないものしか無かった。
    容量も40MBや20MB程度の小さいもので、さすがにワープロソフトやCAD程度でしか使っていないとはいえど、なかなかつらい容量だ。
    会社では文章を作るのには一太郎、CADは私だけがテストとしてJW-CADを使っていた。
    新しいPCを買うとなれば、もはや98アーキテクチャにこだわる必要はない。一太郎は6.3でwindowsへの適応がなされているし、JW-CADに関しては98、PC/AT互換機ともにソフトウェアを供給している。
    今更386SX16MHz程度のPCを延命するのも得策ではないのでは無いかと思っていた。
    ラップトップという縛りもあり、どれだけ金をかけても絶対的なパフォーマンス不足でそのうちすぐにいやになってしまうだろう。
    製品寿命は終わっていると考え、少しスペックの高いノート型パソコンを購入することにした。
    ここで言うスペックの高いノートパソコンは、あくまでも386BOOKよりはスペックの高いという意味。
    ノートPCはアップグレードなども難しいので、オーバースペックで買えば長く使えるだろうが、使用しているソフトなんかはそれ以降も大して変わらないと考えたので、とりあえず今のソフトがサクサクと動く程度のPCを買えばいい、しかも安く。
    デスクトップPCを買ってからというもの、ノートPCはどうしてもサブマシンという位置づけで考えてしまうようになった。
    なので、現状できることがちゃんとできればそれでいい。その後のことは考えない。
    それがノートPCを買う上での基本的なところと考えている。
    探し回っているうちに、すでに過去の製品となっている新古品に多く出くわした。
    とりわけ安いのは、Windows95が出てくる直前頃のPCで、Windows3.1搭載モデルなどはスペックは劣るが、実用上は何ら問題がない。
    そのときに見つけたのがこのInnova Note475csというモデルで、CPUはCyrixの486DX4、75MHzのクロック数だった。
    75MHzということは、以前使っていたデスクトップPCのPC-486MVと大差がない。
    あれは確かDX2-66MHzだったからこのノートよりもクロックは低い。
    それでも、Windows3.1を使う上では問題もなく、それほどストレスを感じることもなかった。
    用途としてはJW-CADと一太郎あたり、あとはDOS/Vへの対応のために古いBASICプログラムをVisualBASICへと移植する作業を行うくらいだった。
    その程度のことであればWindowsは3.1で十分だし、下手をすればMS-DOSでもことが足りる。
    値段は10万円を切っていることから、十分使えるだろうと判断し、ソフトクリエイト渋谷店で購入した。
    本当は外付けのCD-ROMドライブと抱き合わせで12万円となっていたのだが、今の用途ではCDはほとんど、いや全くと言っていいほど使わない。
    CD-ROMドライブがなくてもいいから安くしてほしいと交渉。結果としてちょうどドライブの値段相当の2万円が引かれた9万8000円で購入することができた。
    会社へ持ち帰り早速セットアップを行っていった。
    セットアップといってもプリインストールされたPCなので、リカバリ用のバックアップをして、必要なソフトを入れるだけだ。
    必要なソフトといえば一太郎とJW-CADだ。
    一太郎はwindows3.1対応版のVer6.3を導入し、JW-CADは起動用バッチファイルを作って起動させるようにする。
    JW-CADはV-Textという機能を使って、より高解像度で編集を行うことができた。
    これは、PC/AT互換機版のみに搭載された機能であった。
    これによって画面は25%広く使うことができ、使いやすかった。
    主に会社で、または家でちょこっとしたことに使うのにとても重宝した。
    1997年にはいるか入らないかの頃にwindows95を入れた。
    自宅のメインマシンと環境を合わせたかったからなのだが、やはり95はこのマシンには重荷となっていた。
    メモリも8MBしかなく、型落ちの486CPU。ちょっとしたことを使う上では問題がなかったが、やはり非力さが気になるようになっていった。
    また、この頃はまっていたゲームにDiabloというゲームがあったのだが、このDiabloはネット対戦の走りでもあったゲームで、装備やお金の受け渡しなどをするためにシリアルケーブルを使って通信体制にして、お金やら装備を移動させたりするのにも使った。
    このとき、16MB以上のメモリが無いと使えなかったため、メモリも増設している。
    家と会社の両方で活躍をしていたが、97年の秋を過ぎた頃には当時つとめていた会社の取締役が使っていたPCを使っていい事になって、会社では使わなくなっていった。
    そのとき借りたのはMebiusノートの最初の頃のモデルだと思う。Pentium133MHzのCPUで、パームレストがとてつもなく暑かったのを覚えている。

    家ではDiabloのデータ移動やちょっとしたテキスト打ち、VT516SVMが壊れたときの代替えとして数週間使ったりとかなり重宝して使った。
    しかし、少しの間使っていなかったら起動しなくなってしまった。
    電源が全く入らない状態で、どうにもならなかった。
    実はその前にすでにLet’s noteを買っていたので、どちらにしろお払い箱だったのだが、その後はDOSマシンとして使おうと思っていた矢先の出来事だった。

    メインマシンと違って、用途を区切って使うノートPCは比較的長く使うんだが、これは結構短命だった。
    用途の区切り方が極端だったのかもしれないが、過渡期だった事もあるので、これは仕方がなかったんだと思いたい。