型番PC-486MV2JM
CPU:Intel486DX266MHz
HDD:340MB IDEドライブ
MEM:標準3.6MB(最終的には23.6MB) 最大63.6MB
CD-ROM:4倍速
スピーカ、17インチマルチスキャンディスプレイ付
グラフィック:CL-GD5428 VRAM1MB
その他:付属ソフト各種。代表ソフトMS-Works(ビジネス総合ソフト)
拡張スロット:Cバス3スロット
当時の購入金額標準価格39万8000円た
1994年5月、横浜ビックカメラにて23万円くらいで購入。
細かい金額は忘れました。
1995年、パソコンを誰でも簡単にという謳い文句の上、Windows95が発売された。
このPCはその発売より数ヶ月前に買われた物だ。
このモデルの発売は1993年11月だったため、買ったときには春モデルが出た直後くらいで結構値下がりしていた。
Windows95自身は、結果としてそこまでパソコンの利用者を飛躍的に増やし、スタンダードOSとしての地位を確立した。
新しくパソコンを買って使おうと考える人間にとっては確かにマウス操作で取っつきやすく、ハードウェアの増設をしてもplug and playが効いて自分でドライバーを組み込むという作業は最小限に抑えられた。
しかし、前述の通り簡単とは言いつつもやはり細かいところは自分で設定をしなければならないし、いろいろと問題が発生すれば自分でトラブルを解消しなければならない。
それまでに使っていたPC-486SRはパワーアップをかなりしていたため、パフォーマンスの不満は感じていなかった。
しかし、HDDの容量がが小さく、新しいアプリケーションのインストールのためにほかのソフトをアンインストールしなければならないほどにまで切迫していた。
それまで使っていた486SRというマシンはHardDiskPackと呼ばれていた、当時のEPSONノート用に使われていたHDDを使用している。
抜き差しが簡単で増設しやすかったのだが、すでに一般的になっていたIDEなどに比べると割高になってしまっていた。
そのため、大きな容量に買い換えるのもどうかと思っていた。
それと、妹が引っ越す際にパソコンがあったらいいかもなんてことを言っていたので、新しいのを買って古いこいつを渡すという事になった。
購入に当たっては、いくつか考えなければならないことがあった。
まずは、PCそのものをどこのメーカーにするべきなのか、ディスプレイはどうするべきかだ。
ディスプレイについてはノーマルディスプレイではなく、マルチスキャンディスプレイへと変えたいと思っていた。
少なくとも15インチ以上の大きさがいいとも思っている。
メーカーに関しては、NEC製PCは例によって買う気がない。
IBMを含めたDOS/Vと言われるパソコンもいじったことがないためか、未知の存在のように思えていた。
それに加えて、それまでに買ったゲーム類やアプリケーションのたぐいはMS-DOSで動くものも少なくはない。
つまり、DOS/Vに移行するということは、それまでのそういった遺産をすべて捨てるという事を意味している。
その当時は、過去の遺産をすべて捨てる事は考えていなかった。
PC-98系統マシンとDOS/V系マシンのうち、DOS/Vを使わないとなると自ずと98マシンとなるわけだ。
しかしながら、NEC製を買う気が無いということになると、やはり互換機であるEPSONのマシンと言うことになる。
私が互換機を好むのは、やはり値段だ。当時のNECは安くなったとはいえどもまだまだ高いパソコンが多く、互換機に比べて割高でありながら仕様が劣るという状態が続いていた。
私の普通の用途というのは、少しCADができて、少しBASICでプログラムができて、ゲームができていればそれで良いのだ、無駄な仕様のPCはいらないのだ。
だが、これから先…つまり新しいOSが出てくることでその用途は広がっていくことがわかっている。
実際に、買おうと決めてからいろいろと店をみて回ったのだが、ディスプレイ付きで安いPCというのは少ない。
どうしても30万近くになってしまうのがほとんどだった。
まあ、仕方がないところだろう。まだマルチスキャンディスプレイもそれなりに高い頃だったし…。
話を戻そう。
この時代になると、そういったマルチスキャンディスプレイもDOS/VとPC-98では差が無くなり、同じ解像度を表示できるようなものに変わっていった。
つまり、実際にはこの時点でPC-98を選ぶ必要はなかった。
しかし前述の通り、98マシンで無ければ動かないアプリケーションの関係や、会社で使っていた見積もり作成や技術計算はすべてBASICにて作られていたため、その辺が動かないと困る事があるため、98マシンを買うということしか考えてはいなかった。
早い話、Windows時代に移ろうとしていても、DOSアプリケーションへの依存はつづいていたと言うことだ。
結果として、買ったのは486MVというマシン。
エプソンの98互換機だ。CPUは前のSRの最後と同じ486DX2-66MHzだ。
あえて上位のCPUにしなかったのは、単に価格の問題だ。
また、このマシンは486CPU搭載したEPSONPCとしては最後の方にリリースされたPCとなっている。
すでにPentiumマシンが出始め、EPSON自身もPC-98互換機ではなく、AT互換機の方へとシフトする気配を見せていた。
元々はOADGの会員でもあるんだし、すでに役目を終えつつある98アーキテクチャーから移行するのは仕方がないとも考えられる。
店頭にて購入し、配送を待つばかりとなった。
さすがに、ディスプレイと本体が一緒では、持って帰ることは不可能に近い。
今までは、本体だけだったりディスプレイだけだったりなので、自力で持ち帰っていたのだが、さすがにこれは無理だ。
自宅に到着したマシンを組み立てシステムを起動する。
まだWindows3.1が搭載されているのだが、(95は発売されていない)プリインストールとなっているので、何もしないでケーブルをつないで電源を入れるだけである。
システムはおろか、HDDすらついていなかったため苦労した386BOOKや486SRとは大違いだ。
さて、マシンを立ち上げた後に説明書を一通り読んでみる。
基本的な部分は今までと変わらないはずだが、付属にいろんなソフトがついているという。
基本的にはあまり使わないものなのだが、ついているならば…と思い説明書だけは読んでおいた。
こういった説明書を読むのは嫌いではない。むしろ好きな方だ。
このマシンで一番多く行っていたのは、やはりNiftyServeのCB、つまりチャットだ。
用途としては、特に今までと差は見えない。
マシンスペックだってほとんど変わりがないのだから当然といえば当然だろう。
前のPCよりメモリが減ることとなったのだが、すぐにメモリも買い足した。
このパソコンは最大で61.6MBのメモリを搭載することができる。
最終的には23.6MB(24MB)まで搭載した。
唯一、HDDの容量が増えたことだけがメリットとしてあげられる。
HDDは340MBと、それまで使っていた200MBの1.7倍ほどの容量を持つ。
問題としては接続に使っているIDEというHDDを繋いでいるポートの制限があった。
初期のIDEは、それほど大容量のHDDを搭載することを前提としていたわけではないため、当時あったのが540MBの壁といわれる問題だ。
詳細についてはここではあまり書かないが、早い話540MB以上のHDDを搭載しても540MB以上を認識しないという問題があった。
これは、問題というよりもIDEの仕様であったため、その仕様を変更してEnhanced-IDEなどが作られたりしていった。
閑話休題
この140MBの違いはかなりかなり大きかった。
何せ、一般的なアプリケーションはだいたい10MB前後に収まっていたし、オフィス系のでかいものであっても100MBなんて容量を使うことは無かった。
最初の方に書いてあるが、一太郎5が20MBとかなり大きかったように覚えている。
しかし、ゲームとなるとまた話は別になってくる。
今のようにCD2枚組とかインストールに1GBとかそういう無茶は言わないが、それでも50MB単位で容量を使うことが多かった。(特にエロげーにこういった傾向が見られていた。)
そうなると、340MBのHDDなんてあっという間にパンク状態となる。
そこで考えるのはやはりHDDの増設だ。
IDEのHDDを内蔵できるスペースは無く、内蔵型の新しいHDDを買うか、外付けタイプを買うという選択を迫られることとなる。
しかし、今まで持っているデータを考えると、内蔵のHDDを入れ替えるというのは非現実的だし、当時の俺はメモリやCPUの取り替えはしたことがあったが、HDDの入れ替えはしたことがなかった。
内蔵では搭載できないとなると、外付けタイプということになる。
外付けHDDとなると、やはりSCSIということになる。
HDDを買いたいと思っても、なかなか買うこともできない。
今のように安い買い物では無かったからだ。特に、外付けタイプにするとなると、別途SCSIカードが必要となる。
両方をあわせると結構な値段となる。
そんなとき、通い詰めた渋谷のビックカメラを見てみると、なんと外付けのSCSIカード付きHDDが売っていた。
価格は確か4万円前後だったと記憶する。
容量は1GBだ。
GB、ゲームボーイではない、ギガバイト。
当時の俺は、GBという単位もろくに聞いたことがなかった。
横に小さく1000MBと書いてあり、Megaの上がGigaだと知る程度の知識レベルだ。
何度も言うが、HDDは当時高かった。
その証拠に、340MBのHDD搭載モデルと540MBのHDD搭載モデルでは定価ベースでだいたい2万円ほど違っていた。(あくまでも定価ベースなので、実際にはそこまでの差はない)
SCSIカード付きなので、別に何かを購入する必要もない。
それを考えると、かなりのお買い得品と言うことになる。
即座に購入を決めて、家に持って帰っていった。
ドキドキしながら、つないでみると…動かない。
厳密に言うと、認識をうまくしていないようだったのだ。
つまり、HDDが存在しないとみてしまっている。
BIOSでは認識をしているのだが、Windows上で使えない。
初期化すら行えないのだ。
仕方が無く、翌日メーカーに電話。
連絡をしてみると、付属のSCSIが悪いのかHDD本体が悪いのかがわからない、代替え品を送るので、使ってみて欲しいとのことだった。
もちろん、機種などを確認して動作保証とれていることは確認済みだ。
数日後、到着したHDDをつけてみるがやはり動かない。
ボードを交換しても結果はまるで変わらなかったと言うことだ。
仕方が無く、翌日新しいSCSIボードを買った。確か1万くらいしたと思った。
BIOSで認識していると言うことは、HDDそのものは死んでいない。
ボードとの相性やWindows3.1との問題だと判断したからだ。
結局ボードを変えたところ何ら問題なく使えるようになってしまった。
俺の一番嫌いな「相性」に見事にはまってしまったようだ。
ただ、2枚のボードで同じ現象だったので本当に相性かどうかはわからない。
結果として、ボードがうまく動かないことが判明したのだが、メーカーからの連絡も特に無いまま、過ごしてしまった。
本来は返すべきHDDもそのまま…まあ、言ってこない方もアレということですましてしまった。
結果としてHDDが2台に増設され、2GBの容量を持つこととなった。
速度はそれほど速く無いが、求めていたのは速度などよりは容量だ。 HDDの高かった時代だけに、求める方向が違っていたのだろう。
大容量のHDDができたことで、今までちまちまと入れていたアプリケーションも簡単に入れることができる。
それに、データファイルなどの管理もこのころ始めたような気がする。
それまでは無造作にあちこちにファイルを保存していたのだが、一カ所にまとめるようになった。
また、フロッピーディスクの使用率が格段に落ちた。もちろん、バックアップをとるという意味で一部は使っていたが、ほとんどHDDに保存するようになっていったため、フロッピーの使用頻度は落ちる。
これは当たり前のことだと思う。
誰だって遅いフロッピーをデータ保存として使うのはなるべく避けるだろう。
後はWindows95の発売を待つだけとなった。
まず、11月頃にNECとAT互換機のWindows95が発売される。
その時会社でも一部導入と言うことになったので、試しにそのときに使用していたPCに入れてみた。
機種名は確かXa9だったと思う。
Pentium-90MHz+メモリ16MB(15.6MB)のマシンだったと思うが、正直起動に時間もかかるし使うには厳しいと判断をした。
まさかここまで変わっているか…と思われるほどだった。
確かにインターフェイスも使いやすくはなっているような感じはあるが、一つ一つの動作がいまいち遅い。
CPUにて数段劣る自宅のPCにこのWindows95を入れるとどうなるのか…と不安を感じ始めていた。
実際のところ、Windows95の発売直後は最低メモリが8MB必要であるということくらいしか気にしていなかったので、倍の16MBでこの動きとは思ってもいなかった。
EPSON版Windows95は、年明け2月から出荷開始。
しかも、通信販売のようにEPSONへ注文する形でパッケージ販売もされることはなかった。
当時のEPSON