iPhone、MP3プレイヤーから発展し続け、今やスマートフォンと言われる分野で大きなシェアを獲得している。
PIM(Personal Information Manager)として利用でき、様々なアプリケーションをインストールすることで可能性は無限に広がっていくツールだ。
PIM機能、データ通信、拡張性、PC連動など、数多くの搭載している。
しかし、そこにたどり着くまでに数多くの歴史があった。
電子手帳から発展し、PDA(Personal Digital Assistant)、スマートフォンと発展していった歴史を自分なりに振り返ってみたい。
電子手帳は1980年代に多く発表されていた。
当初は単なる住所録に過ぎなかった物を、多くの付加価値をつけていくことで発展していった。
この頃の電子手帳は、まだネットワークにつながるとかコンピュータにつなぐなどという発想が無かった時代で、単体での住所録、スケジュール帳といった使い方をしていた。
そのうちにダイヤラーがつき、公衆電話からかける際に便利になったり、タッチペンを使った入力が可能になった機種も出ていった。
タッチペンによる日本語入力、それを前面に押し出し、システム手帳に書くかのように使える電子手帳、日本ではシャープから「Zaurus」が発表された。
手書き入力ボックスに書き込むことで、自動的にその文字を認識し清書する。
メモや住所録、スケジュールなどすべてその方法で入力が可能だった。
実はこのZaurus、私は4台買っている。
PI-3000、4500、7000、そしてMI-10。端末として一番使いやすかったのはPI-6500だったが、手書き文字の清書機能がついたMI-10は会議の議事録を取るときにかなり重宝した。
が、電池が残念な程持たなかったので、それ以降はZaurusを買うことはなかった。
今回の記事にはあえていれていないWindowsCEを中心としたハンドヘルドPCへと移って行ったからだ。
閑話休題
同じ頃、手書き認識を行えるPDAとしてアップルコンピューターから「メッセージパッド」が発表された。
通称は「Newton」、こちらの通り名の方が有名だろう。
ニュートンの実機(Wikipediaより拝借) これだけでは分かりづらいが、大きさはかなりの物で、弁当箱くらいはありそうな感じだ。 もちろん、ポケットに入れて持ち運ぶなどという事はできないサイズだ。 |
PDAは今でこそ一般的に使われているが、その昔アップルコンピューターのジョン・スカリーという人物が発表会で言った言葉だ。
ジョン・スカリーに関してもいろいろと逸話があるが、ここではとりあえず置いとこう。
その後、電子手帳は縮小傾向となり、PDAが主流となっていく。また、携帯電話の高機能化に伴ってそもそも住所録メインで利用する場合には携帯電話で十分まかなえるようになってしまっていったのも縮小化していった要因だろう。
住所録だけでは物足りない、それ以上の用途が必要なユーザーはPDAへと流れていくことになる。
PDAの主流は、前述のNewtonでは無かった。Zaurusは日本で一定の評価を得ていたが、爆発的な普及などには至らず、PDAの市場を奪っていったのは1996年に発売され、今もスマートフォンメーカーとして残っているPalmだ。
Palmの特徴は、その入力方法(グラフィティ)、そして軽量コンパクトな本体、駆動時間、価格。一流のPDAとなりえる要素を持っていた。
さらに、PalmはそのOSをライセンスさせることで、ほかのメーカーからも数多くのPalmが発売されていった。
また、それまでのPDAとは違い、PCと連動させてデータの共有を行うことや、バックアップを行うことが前提として設計されており、皆が「母艦」と言っていたパソコンと連動させてアプリケーションのインストールなどもできる。
この連動、HotSyncはPCユーザーにも多く受けいられた。
この初代Palmは当初Palm pilotと名前がついていた。しかし、パイロットは文房具で有名なパイロットがあるため、訴訟問題に発展しpilotの文字が消えることになった。
PalmはPDAとして高いシェアを誇っていたが、Windows Mobileの登場や携帯電話の高機能化によって徐々にその居場所を失っていくこととなった。
日本では、2000年に登場したPalmOSをカスタマイズしたSony製の「CLIE」がシェアを獲得し、採算がとれなくなった他メーカーはこぞって日本から撤退していった。
その後、2004年にCLIEは生産中止となり、日本のPDA市場は崩壊した。
最も、その前からPDA市場は崩壊していたと言えるだろう。
それと前後してスマートフォンがヒットする前兆があった。
しかし、スマートフォンが大きく発展するための障害があったのも事実だ。
それは、iモードやスカイメール、EzWebなどの日本独自のメールだ。
今でこそスマートフォンと差別化をするために「ガラケー」と言われているが、その当時はガラケーこそがスタンダードであった。
いや、その当時というよりは、iPhoneが来るまでは、という言い方が正しいかもしれない。
PDA市場が崩壊したのは2003年頃、いや見かたによってはもう少し前かもしれない。
ハンドヘルドPCやノートPCの低価格化、ケータイ電話の高機能化によってPDAそのものの存在価値が問われることになっていった。
そして、スマートフォンのさきがけとなったBlackBerryが日本に登場したのは1999年、しかし前述のガラケー機能がないために大きな普及とはいかなかった。
そして、2005年。携帯電話ではないが、ひとつの転機となるスマートフォンが登場した。
WILLCOMがだしたW-ZERO3。
前面に大きな液晶パネルを搭載し、感圧式のタッチパネルとして利用が可能となっている。
そして、タッチペンを利用し様々な操作を行う。OSはWindows Mobileを搭載、タッチペン以外にも小さいながらもキーボードを搭載している。
これによって、タッチペンだけでは操作がしづらかった入力をキーボードで補完する。
画面の解像度もVGA(640×480)あり、MiniSDカードも利用が可能。
まさに崩壊したPDA市場を補うかのように登場した。
事実、縮小傾向にあったPHSの市場にあって、発売から半年で約15万台を売ったというのだから大したものだ。
このW-ZERO3を作ったのはシャープである。
このW-ZERO3はパフォーマンスもそれなりにあったため、ファミコンのエミュレーターなども利用することが出来ていた。
こうして、PDAが消えたあとの市場をW-ZERO3が補完する形となった。
パケット通信の定額もあり、ちょっとしたネットだけであればW-ZERO3で事が足りる。
PDAだけではできなかった通信を単体で行える事が大きなメリットともなった。
最も、回線はPHSのため64kbps、ISDNと同等程度である事から、ブロードバンド化によって肥大化した通信量にはついていけないところもあった。
そして2007年、黒船がやってくる。
iPhoneだ。
iPodがヒットし、徐々に機能を増やして言ったことを考えれば携帯電話を搭載したのも必然であるといえるだろう。
瞬く間にiPhoneは広がり、日本ではスマートフォン=iPhoneと考えられるまで広がった。
その一方で、Google Androidをベースにしたスマートフォンも徐々に広がっていった。
ガラケーの機能も搭載されたガラケースマートフォンも発売され、今までのスマートフォンでは不満があったおサイフケータイ機能や携帯メールも利用が可能となり、iPhoneよりも使いやすい日本向けのスマートフォンも各社から発売され、現在に至る。
電子手帳の時代はメモがわりに過ぎなかったツール、それがPDAとなり、多くのユーザーをつかんだ。
その機能は携帯電話に吸収され、最終的に携帯電話で完結できるようになった。
ここにいたるまで色々とあったが、最後に一つ重要なことを上げておこう。
バッテリーの進化だ。
ここまで1つの小さいツールでまかなえるようになったのは、バッテリーの技術向上が挙げられる。
乾電池を使っていた時代から、ニッカドバッテリー、そしてリチウムイオンバッテリーへと進化し、小さくて高出力なバッテリーが増えたこと。
デジタルガジェットの歴史は、バッテリーの苦悩が多くあったことを考えると、無視できない問題だ。
現在、色々と限界が来ているバッテリーだが、これから先さらに軽量化、簡略化され高出力が可能なバッテリーが出ることを祈ろう。