スマートフォン、本当に使いやすいのだろうか。

今の日本では、所謂ガラケーと言われる日本独自のケータイが失われつつある。
しかし、ガラケー用に作られたサイト等はまだまだ多くある。
スマートフォンにのりかえた人々は口々にスマートフォンは良いと言う。
本当にそうなのだろうか?
使いやすい、便利と言うが、果してどこまで使い、そう感じるのか。
今回はスマートフォンの価値を少し考えてみよう。

スマートフォンの付加価値は?

iPhoneやAndroid、BIackBerry、windows Phone7.5等、スマートフォン用のオペレーティング システムは幾つかある。
それぞれが独自のシステムを使用し、様々なソフトウェアを供給している。
メールやウェッブを利用するために、ゲームやPIMを利用するために。
現在では、携帯電話は通話をするものから、通信をするものへと変貌を遂げている。
もっと言うならば、単に通話や通信を利用すると言うだけに止まらず、総合したツールとして利用が可能な物になった。
1台で電話もメールも、ウェッブも。
更に音楽プレイヤーとしても、メモ帳やSNSサービスも利用できる。 カメラもついているしゲーム機としてもある程度使える。ソフトウェアを追加し、ー台で情報管理も行なえる。
まさに携帯電話ではなく、一台で何でもできる存在と言えるだろう。
ガラケーでもある程度は同様の事ができるが、専用のサイトを設ける必要があったり、入出力に限界がある。
ガラケーの設計は電話をメインに据えており、現在の用途に合わなくなって来ているのではないか。
スマートフォンの付加価値は一台でなんでもそつなくこなせる、その一点に集中しているのでは無いだろうか。

スマートフォンの多くのユーザーは…

実はスマートフォンの多くのユーザーはライトユーザーではないかと思っている。
もちろんヘビーユーザーもいるが、どちらかと言えばパソコンはあまり使用しない、ケータイ(ガラケー)で大体の事が足りていたユーザーが多いと思っている。
だからアプリも有料ならいらない、無料ならば考える。と言うようなユーザーが多い。
そして、そうしたユーザーは与えられたツールだけを利用することが多い。
結果としては、アプリの市場は大多数のライトユーザーではなく、一部のヘビーユーザーによって支えられているニッチになってしまっているのではないだろうか。
ただし、誰もが最初はライトユーザーなのだ。
そこから知識を身に付けていく人々も数多くいるだろう。
その登竜門としてガラケーからの脱出もありだろう。

ガラケーと言うが

日本で出ているスマートフォンは実はガラケーになってきている。
そもそもガラケーの語源となったのは、閉じられた空間、ガラパゴス諸島の事であり、その閉じられた故の楽園で、独自の進化をした様々な動植物の事を言う。
今、日本で出ているスマートフォンは国際モデルは別として、日本メーカーが独自の機能を搭載し展開している。
例えば、ワンセグ放送においては日本の通信方式を採用しているのは、日本以外ではペルーとブラジル位のものだ。
おさいふケータイにしても、日本と諸外国とでは方式が異なり、現在のFeliCaは日本でのみ利用が可能な状態だ。
つまり、使っている技術が国際標準で無い限り、スマートフォンもガラパゴス化していくのではないかと思っている。
フィーチャーフォンと同じような方向性にならないようにと動きが出てきている。
その一つが、FeliCaから世界基準への移行。
FeliCaをやめようという動きが始まりつつある。
しかし、ここまで広く普及したものを一気にやめるわけにも行かず今後どうなるかはまだ未定の状態だ。

結局日本では

しばらくの間はガラパゴス化が終わらないと思っている。
iPhoneであれだけスマートフォンをアピールしても、まだ市場の1割程度にしかなっていない。
もちろん、今後その比率は上がっていくだろうがどこまで上がっていくのかはまだわからない。
いっそのこと、従来型携帯電話の生産をやめない限り一過性のもので終わってしまうのではないか。
そして、一部からは「やっぱり昔の携帯の方が使いやすい」なんて声も出てきている。
もちろん、単に使いこなせないなどというだけではなく、細かいところで今までの方が簡単だったなど、実際に使ってみての不満が出てきているのだろう。
今後、スマートフォンが真に普及するためには、日本人向けの操作やコンテンツが必要だ。
しかし、そこを追求すると結局の所ガラケー化してしまう。
その天秤をどこで止めるのか、今後のメーカーの動きに注目してみたい。

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