今の日本はフィーチャーフォン、よくいうガラケーからスマートフォンへと急速に切り替えが進んでいる。
スマートフォンが出る前にはPDAと言われる電話や通信機能のない情報機器がたくさん存在していた。
その中でも名機と言われたHP-200LX。
今回はHP-200LXを目指したのか単なる詐欺師だったのか、モルフィー事件を取り上げてみたいと思う。
かつてはPDAやハンドヘルドPCといった情報機器があった。
住所録やメモ、ToDoなど個人情報を管理するソフトウェアが搭載された早い話、電子手帳の進化した製品だ。
手書き入力やキーボードを利用できるものもあり、今のスマートフォンの原点となるガジェット達だった。
その中でも、HP-200LXは小さいキーボードを搭載し、住所録や表計算ソフトの大ヒット製品Lotus1-2-3などをプリインストールしたもので、ハンドヘルドPCに分類されるものだった。
CPUにはIntel8086に周辺ICを統合してワンチップ化した80c186を使用し、クロック数も8086より少し高速で同クロックでも1.3倍ほど高速。
MS-DOSVer5を搭載して単三乾電池2本で最大20時間駆動する、MS-DOS専用の小型PCであった。
DOS専用の小型PCとして絶賛され、多くのヘビーユーザーを取り込み、日本語化やバックライト搭載の改造にクロックアップなど改造を施すユーザーが数多くあり、ニフティーサーブでも専用のフォーラムが設けられるほどであった。
HP-200LXは1999年に販売終了となるが、販売終了を悲しむユーザーによって予備機を買いますユーザーや生産継続を訴える署名活動が行なわれたことでも有名だ。
ほかにもこの頃はwindowsCEがリリースされ、ハンドヘルドPCやPDAの全盛時代と言える頃でもあった。
PDA市場はPalm、ハンドヘルドPCはwindowsCEがメインストリームとなりHP-200LXのようなMS-DOSの資産が使えるようなものは存在していなかった。
そんな中、ニフティーサーブのフォーラムで後継機種となるものを自力開発して仕様をオープンとすることで、長く使えるものとしようと考えた男が居た。
ハンドルネームとよぞう、佐川豊秋であった。
とよぞうは、回路は簡単だった、いけると豪語して開発を発表。
この開発はMorphyOneと名付けられた。
このときHP-200LXのユーザーが求めていたのは高機能化でもなく、カラー化でもなく、ましてやwindowsCEが動く機種でもない。
あくまでもHP-200LXの正当な後継機種、簡単にいってしまえば「高速なHP-200LX」を欲していただけなのだ。
そして、同人ハードと言えるMorphyOneは「法人化」された組織で開発されることとなる。
前述の通り、オープンハードとするために様々な問題(主に著作権関連)をクリアするためにも必要な事とされ、合資会社モルフィー企画は多くのHP-200LX後継機種を求めるユーザーからの出資によって設立された。
当初、1口5万円で出資を募っていた。あくまでも出資でありこの金は戻らない可能性もあるし、実際にMorphyOneが誕生したとしてもその購入資金とは全く別のものとして扱われた。
そして、出資は集まり約600万円にもなっていった。
恐らくこのときが一番輝いていた頃だったのだろう。その後に訪れる悲惨な結末を考えるものはあまり居なかった。