最近、スマートフォンもかつてのPC/AT互換機のように似たり寄ったりで、OSも成熟してきていじりがいの無いものへと変わってきてしまっている気がします。個人的にはとても残念な気がします。つまんないから。
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まだみぬ君のスマートフォンへ〜ガラケーへ戻る人たち
少し前のお話になりますが、2014年の携帯電話出荷台数でガラケーと呼ばれるフィーチャーフォンが2008年以降で初めて前年度を上回る出荷を見せたとのことです。(MM総研より http://www.m2ri.jp/newsreleases/main.php?id=010120150203500)これは、2008年にiPhone3Gが日本でも登場して以来、ずっと苦戦を強いられていたフィーチャーフォンにとって大きな転機となる可能性を秘めています。
スマートフォンの成熟
スマートフォンの出荷台数はピークだった2012年を境に徐々に前年割れしており、すでに欲しい人は持っているという状況になっています。そんな中でフィーチャーフォンの出荷が伸びたのはなぜでしょうか。答えの一つとして、すでにスマートフォンが機能としてはほぼ成熟してしまい目新しさがみられなくなったことにあるでしょう。
簡単に言ってしまえば、「今の機種で事足りている」という状況が始まったということでしょう。壊れない限り買い換える必要が見いだせない。そんな状況です。ハードウェアのスペックは確かにあがっています。しかし、そのあがったスペックで一体なにをするのでしょうか。この疑問はすでにガラケーが通った道であり、今スマートフォンがぶち当たっている問題です。
単なる携帯電話機からインターネット通信を行い、情報端末へと進化したガラケーは1999年のiモードから始まりました。スマートフォンが登場したのはそれから約10年後、そんなスマートフォンが日本で発売されてから7年、そりゃ成熟するし段々といらない機能も増えていくことになるでしょう。そして、スマートフォン1台で何でもできるけど、やっぱり電話は電話として使いたいと感じる人も増えます。
電話機に立ち戻るガラケー
電話機としてはガラケーの方がスマートフォンより頭にフィットしますし、使いやすい面は多い。逆にデータ通信に関しては各社がサービスを徐々に縮小しているため、今後は電話とメールだけなんて事になるかもしれません。それ以外のFeliCa搭載やワンセグ搭載などは今後も続くことでしょうけど。
電話としての機能は優れていることから、電話はやっぱり電話機で。データ通信(インターネットなど)はスマートフォンやタブレットを別に持てばいい。そう考える人も増えるでしょう。今後は更にこの流れが強くなっていくのではないかと考えています。電話はガラケーの方が便利なんですもん。
同調するかのようにスマートフォンは電話から離れて行っています。かつてスマートフォンがあればパソコンはいらないと言う人もいましたが、単にスマートフォンやタブレットがパソコンへ近づいているだけで、パソコンがいらないのではなくスマートフォンがパソコンになろうとしているだけに過ぎません。
支払金額の違い
MM総研によると、月額平均利用料はスマートフォン 6,342円/フィーチャーフォン2,739円ということです。約3600円の違いがあります。これだけ違うと格安SIMと安いスマートフォンとガラケーの2台持ちをしてもキャリアの販売するスマートフォン1台と同等か安くすることが出来ます。このこともガラケーをメインにしてデータ通信を別に、と考えるひとつのきっかけになることでしょう。
私自身、タブレットとスマートフォンをキャリア契約しているため、月額約12000円程度の出費となっています。しかも、スマートフォンは一括支払いしているため、今後は更に高くなる(毎月割が消えるため)事になります。そこまでの金額を出して高速通信が必要かというと、そんなことはないと思っています。
2014年は転機だったかも
2012年がスマートフォンの出荷台数としてはピークだったとあります。そして、そこから2年縛りの契約が終わるのは2014年から2015年にかけてのことになります。とすると、2015年もスマートフォンの出荷が減りガラケーの出荷が増えるのではないでしょうか。もうすぐ新しいiPhoneの発表があるとされていますが、そんなiPhoneも「今使っている人が買い換えている」だけで、新規層をどこまで取り込めるのか、ガラケーへ戻る人を引き留められるのか、そんなことを考えつつ閉めたいと思う。
まだ見ぬ君のスマートフォンヘ-本を読むという事
スマートフォン、みなさんは活用していますか?
私はiPad Airとhtcのスマートフォンを持ち歩いて使っています。主にiPad Airはメモを取るときにキーボードとセットで利用したり、本を読むのにも利用しています。スマホは主にちょっとしたゲームやソーシャルサービスを利用しています。ソーシャルは画面がでかすぎても使いづらいですからね。
今回はその中でも本を読むという事についてスポットを当てていきたいと思います。
文庫本のサイズには足らないスマホ
今現在では一般的に売られているスマホのサイズは5インチ程度。もちろんそれより大きいサイズもありますし小さいサイズもあります。iPhone 5sなどは4インチと小さめの液晶サイズですし、Xperia Z Ultraなどは6インチという大きさになっています。
本を読む、という事にスポットを当てるとなると、やはり気になるのはそのサイズ。文庫本は一般的には150ミリ×105ミリというサイズで、A6という紙のサイズになります。これに対してスマホはほぼ同等以上の液晶サイズを持つものは7インチ以上という事になります。単純にサイズの話だけをしているので、解像度とはまた別のお話です。
4インチのiPhoneでは、文庫本の半分の大きさしか表示領域がありません。と言うことは、同じ文字数を表示しようとすると、文庫本よりも小さい文字で表示されることになります。目のいい人ならばそれでもいいかもしれませんが、やっぱり少しつらいですよね。
実際には、文字の大きさを変えられるので影響は少ないかもしれませんが、問題なのはマンガです。マンガの場合、せりふと絵の両方をうまくあわせてい見ないといけてない。そのため、単に文字を読むだけの小説などに比べてスマホで読むには向いていない。ただ、ケータイの頃からマンガの配信はされているので、一定の需要があるのは間違いない。
それらは画面を拡大・縮小して見る事になるが、それだと紙媒体よりも利便性で劣る部分があります。では、スマホで利用するメリットはなんでしょうか。
大量の本を一つに
文庫本をカバンにたくさん入れて歩く人は少ない。できることならば少ない荷物で行動をしたい。これだけは事実でしょう。これに対してスマートフォン(携帯電話)はほぼ毎日持ち歩く言わば必需品だ。メモリーの許すかぎりは入れておける。重い文庫本を何冊も持って歩く必要はない。これが最も大きな利便性と思っています。文庫本よりも軽く多くの書籍を持ち運べる、これだけでもメリットは大きいでしょう。特に読み終える前の、もう一冊持ち歩かないと…という場合でも一冊分の重さで済んでしまう。
専用端末はあまり流行らない?
スマホを本の代わりにというのはありますし、本を読むための専用端末もあります。しかし、この専用端末はあまり売れていません。日本では、AmazonのkindleやソニーのReader、楽天のkoboが主な専用端末ですがソニーは新規開発の中止、koboも売れ行きが悪く、なんと楽天カードの利用者に送りつけるという事をしている。これは、すでに市場として成り立っていないのでは。日本においてはほぼAmazonの独り勝ちと言っていいかもしれない。
ただ、Amazonのkindleも楽天koboもスマホ用アプリで事足りる。ソニーもアプリを出しているが、評価は芳しくない。それに海外はすでに撤退済なので日本でも今後どうなるかわからない。結果として、これらの専用端末はスマホに巻き取られて行くことでしょう。ただ、kindleの上位機種はアプリに対応しているので、また別の物(ナンチャッテAndroidタブレット)として今後も残って行くかも知れませんね。
紙とインクの匂いはしませんが
手軽に本を読むという点ではスマホやタブレットを利用するのが楽です。手に持った感触やぺージをめくる楽しみはありませんが。オンラインですぐに本が手に入る、そして実店舗が減っていく。これは既に音楽で起きた事、ただ個人店が無くなるのは寂しいですがやがてその日が来るかも知れませんね。紙とインクの匂いにあふれた本屋とデータ配信で終わるスマホ、個人的にはうまく両立してほしいな、と思ってます。
まだ見ぬ君のスマートフォンへ~2度目の勉強をするアラフォー世代
around forty、通称アラフォーと言われる世代。私もそんな世代の一人ですが、皆さんそろそろ子供が大きくなってきている頃でしょう。そして現代、子供にも携帯電話やスマートフォンを持たせるようになる昨今、そろそろ子供への対応も考えなければいけない頃になることでしょう。
今回はそんな世代のことについて書いてみたいと思います。
1度目の勉強…パソコン
ある程度の年齢の人ならば、会社でパソコンが導入されて使い方を習得しなければ、という経験をしたことがあるでしょう。特にアラフォー世代と言われる私を含めた世代は19年前に登場したWindows 95のせいで、企業に大量導入され、社内LANなんて物が一般的に使われるようになり始めた頃、高校や大学を卒業して社会に出た世代です。
私は友人宅でMSXやFM-7、PC-88等を触ったこともあり、自分も高校時代にはラップトップPCを買ってBASICやゲームなどになれていたことから、それほど抵抗はありませんでした。しかし、そうではない人にとっては一苦労だったかもしれませんね。特にバブルがはじけて就職活動が厳しくなっていった頃であり、何か一芸を持っていないと嫌みを言われた世代。Excelの使い方や、パソコン入門といった雑誌などを読んだことがある人も少なくないことでしょう。
あの頃は、自分が身を立てるために必要な物として勉強しました。それが高じてIT業界に入った人だって居ることでしょうし、必要最低限の覚えることだけでも覚えようとした人も居ることでしょう。私はその頃VBで見積もりツールを作ってとか、実業務以外のところでちまちまとやらされていました。VBの勉強をするという意味では今までパソコンをいじってこなかった人たちとも大差が無い感じでしょうね。
2度目の勉強…スマホ
時代が過ぎて、それぞれの人生を歩んできたアラフォー、そろそろ小学生、中学生といった子供が居る人も多いことでしょう。そして、次の問題が発生します。子供に与える携帯電話、スマホの問題です。
パソコンを習うのは自分のため、そして今度は自分の子供たちが犯罪に巻き込まれたりしないようにするために勉強をすることになります。物心ついたときにすでにパソコンが自宅にあった世代や、学校の授業でパソコンが取り入れられている世代は自主的に何かをしなくても好奇心や義務によってパソコンを扱うことが出来るようになっていきます。しかし、パソコンの爆発的普及黎明期、そしてスマホ黎明期の両方を経験することとなっている今のアラフォーはいろんな意味で厳しい世代となっています。
団塊ジュニアとして競争し、自らを高めるために努力し、そして子供のために努力する。結構厳しいですね。そして、若い頃と違いいろいろなことを素直に学べるかと言うとそうでもなくなってきている年です。本当につらいと感じる事もあることでしょう。
情報が散乱し、どれを信じていいのか、何を信じていいのかわからない現代、そこから本当に必要なことを学び覚える。そしてそれを子供に伝える、その労力は大変な物でしょう。
詳しい人は必ず居る
しかし、どの世代であっても詳しい人は必ず居ます。交友関係を見回してみると、自分よりわかるだろうと言う人が居れば素直に頭を下げてでも教えを請うのが正しい方法ではないでしょうか。私の周りにはほとんど連絡を取らなくなったとはいえ、同じようなIT業界に進んだ人間が同じ中学の同級生に2名います。中学、高校とよく連んでいた友人です。まあ、類は友を呼んだだけなのかもしれませんが。
かつての交友を暖めつつ、いろいろなディスカッションをしてやり方を考えていく。いわば学生時代に戻ったような付き合い方で2度目の勉強を軽くすると言うこともできるでしょう。人生も折り返し地点、ここらで一つ身の回りの人を見直して、スマホについても考えてみてはいかがでしょう。
まだ見ぬ君のスマートフォンへ~スマホ用サイトを考える
いま、スマートフォンが主流となり、かつてのガラケーは過去の物となってしまいました。しかし、日本のガラケーは独自の進化をしたことによってスマートフォンから出戻りをする人が居るくらい洗練された製品となっています。
特に感じるのはケータイ専用サイトといった物で、これらはiモードやEZweb、J-SKYなど様々な名前で提供されていました。そして今、スマートフォンが主流となったことでこれらが不要となり、パソコンと同じようにWebを閲覧できるようになりました。しかし、それとてガラケーで出来ていたことです。
今回はこれら専用サイトの事についてお話したいと思います。
iモードが切り開いたケータイサイト
かつて、携帯電話は電話機であり、ショートメッセージサービスが利用できる程度の物でしかありませんでした。しかも、そのショートメッセージもキャリアごとの依存などがあり、使い勝手がいいわけでもなくかつてのポケットベルの代わりになるようなサービスでもありません。
そこで、docomoはどうせなら携帯電話でインターネットにつながるようにすればいいじゃないか、と言うことでiモードを発表。そして、同時に今でも続くメールサービス。通称キャリアメールを利用できるようにしました。ちなみに、携帯電話機からインターネット接続が可能になったのはこれが世界初の事で、これがそれまでもシェアが高かったdocomoへ流れる決定打ともなっていました。
iモードは、一般的に使われているhtml(いわゆるホームページに使われる言語)のサブセット(機能簡略版と思ってください)を利用することで、一般的なhtmlの知識があればサイトの構築が容易になる手法を使い、携帯電話の網からしかつながらない独自のコンテンツを作り上げていきました。これは、網や端末などの情報を元にしており、パソコンから接続しようとしても接続できないものとなっていました。これは、いわばなんちゃって閉域網に近い仕組みとなります。
そして、その中にデコメールや着メロ、ショートムービーなどの多くのコンテンツを公開し、各企業が比較的安全で確実な利益を得られる仕組みを作ることに成功しました。もちろん、それ以外にも「勝手サイト」と言われている個人が自由に作成したサイトにも接続することは可能です。そこでは一時期無法地帯となっており、有料コンテンツを不正に無料配布したり、再販をしたり。また、自作の着メロとして音楽の一部を切り出して利用するなど、著作権上色々と問題のある事もありました。
しかし、それらを含めて携帯電話はケータイへ、情報端末へと進化していったわけです。同時に古い端末でも見られるようにするために画面の解像度が上がったとしても表示される情報量(ようは1ページあたりの文字数など)が変わらなかったり、逆に互換性の問題で古い端末では見られないサイトなどが出てくることもありました。当然これらは時代の流れによって出てくる仕方の無いことでもあります。
auが始めたパケット定額で進化が進む専用サイト
そして時代は流れて2003年、PHSを展開するDDIポケット(現ウィルコム)がパケット定額制を開始しました。これによって、「パケ死」と言われたパケット代にビビりながらの通信から開放されることになります。同年ケータイでもパケット定額制が開始され、auがまず先陣を切りました。EZフラットという名称で始めたパケット定額、翌年にはdocomoがパケ・ホーダイを秋にはVodafone(現SoftBank)がパケットフリーを開始します。
となると、ユーザーはパケット代を気にせずに利用できますから、今まで以上にコンテンツのダウンロードをすることになっていきます。特に顕著に出たのが「着メロ」から「着うた」、そして1曲まるまるの「着うたフル」など、個性を出すために音楽のダウンロードサービスなどが行われていきました。これらはパケット定額制になったからこそ成功した、そしてケータイ端末に独自にダウンロードさせるサービス、つまり専用サイトだったからこそ流行ったサービスとも言えます。
それら配信サイトは公式サイトのみならず、レコードレーベルなどからも展開されて行き、新しい業態として発展していきました。また、デコメも様々な物が現れていき、専用の検索サイトや乗り換え案内など、出先でケータイ端末を利用するのに便利なサービスが数々現れていきました。これらサービスの影響で、一部ユーザーではインターネット=iモードといった利用方法しか知らない事もありました。
これら独自の進化を遂げていったケータイ専用サイトは後に登場するフルブラウザ(ケータイでPC向けサイトが見られるサービス)が現れてからも衰えることが無く、むしろPCのサイトをケータイ向けに変換するサービスなどがありました。
スマートフォンという黒船
時代はさらに過ぎ、iPhoneが出てきました。日本では3GがSoftBankから発売されると、日本でも一部のユーザーが購入し始めました。2009年にはdocomoからAndroid1.5が搭載されたHT-03Aがリリース。2010年にはソニーエリクソンが最初のXperiaをリリースしたり、2011年にはかつてのガラケー全盛期並みのスマートフォンが登場し、その中の多くは売れずに消えていきました。ガラケーそのものが減っていくことで、専用サイトを設けていた業者も収益の問題から徐々に撤退していったり、すでに着うたなどで儲ける時代では無く、自分で買った音楽を自由に着信音に設定できるスマートフォンで商売することが難しくなっていきます。
ユーザーが減ってしまえば業者が離れるのも当然のことで、徐々衰退していく事となります。そして同時に、スマートフォンの解像度とサイズではPC向けサイトのすべてを見ることが難しく、拡大縮小を繰り返し画面のスクロールをしてサイトを見ることも少なくありませんでした。正直この頃は日本で言うフルブラウザのサービスと大差が無いように思えます。単にインターフェイスがタッチパネルになった事で操作しやすくなった、というレベルの物だったと感じます。
そして現れる「スマホ用サイト」
PC向けサイトが見づらいならば、レイアウトを変更してスマホでも見やすくすればいいじゃないか。それがスマホ向けサイトの発端でしょう。確かにそれは今までのiモード、ケータイ専用サイトとは異なり情報量も多く、様々なサイトを不自由少なく見ることが出来るようになっています。しかし、元々ケータイ専用サイトがあったが、それを駆逐してスマホ向けサイトを作るのでは本末転倒では無いでしょうか。もちろん、日本国外ではiモードのようなサービスが流行らなかったこともあり、世界で共通のプラットホームとしてスマホ用サイトを作るのはわかります。
日本では独自に進化したサービスとハードウェア、ソフトウェアがありましたが、それを捨ててまで移行する価値はあったのでしょうか。逆にタブレット端末はパソコンからのスケールダウンをうまくしており、専用サイトなど不要でPCに取って代わる勢いを持っています。これも考えようによってはかつてiモードがパソコン以上にインターネット端末として普及してきたのと似たような物では無いでしょうか。本当にスマートフォンが普及して便利に、そして進化したのでしょうか。個人的には「あまり変わらないのでは」と感じています。
専用のアプリケーションなどを使い、新たなコミュニティーやサービスが産まれたことは確かです。それらはスマートフォンだから産まれた物なのでしょうか。新たなサービスが産まれ、最初にPCで増えていきそれがたまたまスマートフォンの普及期と重なったことでスケールダウンして提供されていった。サービスの産まれた時期がもう少し早ければ、その提供先はケータイ用アプリとしてだったかもしれません。現にTwitterのアプリはケータイ向けにも数多くリリースされています。また、docomoはTwitterと共同開発してクライアントアプリも提供しています。
これらは日本という特別な環境にいたから感じる事なのでしょうか。単にそれまでの日本が進みすぎていて、やっと世間が追いついたけれど先に進んだように見せるための錯覚なのでしょうか。そんなことを考えながら今回は終わりにしたいと思います。
あ、スマホを全否定するつもりはさらさらありませんよ。ただ、単純なブラウズという点については…という意味です。