見かけなくなった二千円札、いったいどこへ行ってしまったのか

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二千円札、2000年に沖縄サミットが開催される事、2000年で区切りがいいことから新しい紙幣として発行されることが決まった紙幣です。
全く新しい紙幣の発行は昭和33年(1958年)に発行された一万円札を最後に発行されておらず、42年ぶりの事でしたし、紙幣の切り替え(五百円札から五百円玉へ)を考えても18年ぶりの事でした。
また、大きさが変わった一万円札などを考えても16年ぶりと大きくシステムが変わるような変更は久しぶりのことでした。
戦後発行された紙幣で表紙に人物像が書かれていない2枚目の紙幣でもあり、いろいろな意味で意欲的な紙幣として発行されました。

前途多難な船出

しかし、発行前から混乱が見られATM(現金自動預け払い機)の対応や各店舗の社員教育まで、対応することが余りにも多くあり特に釣銭間違いを防ぐために飲食店では入念な研修が行われるほどでした。
このように、最初から不穏な空気がある中発行された二千円札は、発行当初こそプレミアをねらった人々によって両替されていたが、すぐに飽和。
付け加えて、金融機関や自動販売機などの対応が遅れていたことから使い勝手が極端に悪く、あっという間にいらない子になってしまいました。
しかし一部ATM、特にコンビニエンスストアに配置されるATMでは千円札2枚分を1枚でまかなえることから、収納スペースの関係から多く使われており、五千円おろすと二千円札2枚と千円札1枚という払い出しが行われたり、中途半端に8000円おろそうものならば、二千円札が3枚と千円札が2枚出てきたり、五千円札を払い出してもらえない摩訶不思議な払い出しが行われることもありました。
しかし、利用する側としてはどうも中途半端な二千円札は利用しづらく、長年1と5の札しか使ってこなかった歴史もあることから、払い出されてもすぐに利用して手元に残らないようにする人も多くいました。
店側でも使いづらいのか、以前に書いたことがありますが有名お弁当チェーン店で9000円のお釣りを二千円札4枚と千円札1枚というとんでもないお釣りでもらったこともあります。
普及のためには流通させること、金の流れを作ることが大切ですが、どちらかというと金の流れと言うよりは使えないので押しつけ合っていたという言い方が正しい表現だったかもしれません。

市場から消えていく二千円札

普及しなかった理由はいろいろあると思いますが、まず最初にデビューしたときにATM未対応や自販機未対応、つまり対人販売でしか利用できなかった事があげられるでしょう。
そもそも、高額紙幣を持っていても生活できる日本、わざわざ細かい紙幣を持つ意味がありません。
さて、そんな二千円札ですが、一部の企業にとっては大きな利益の元となりました。というのは二千円札対応のためのシステム設計や認識のためにセンサーを作成している業者は特需といえる物が発生。
いろいろなところでこの新しい紙幣への対応に追われたあげくにさっさと市場から退場したのではたまったものではないんですが、これも仕方がないことなのかもしれません。
現在では1億枚以上が市場にあるとも言われていますが、私自身ここ5年くらいは見かけていません。また、旧五百円札より枚数が少ないとも言われていることを考えると、見かけないのは当たり前かもしれません。皆さんも今、旧五百円札を古銭屋以外で見かけることってありますか?それと同じ事なんでしょう。

一足お先に終演をむかえた二千円札

このように一過性の物になってしまった二千円札、現在では生産されておりません。
また、一部のATMなどではすでに取り扱いを中止し使う事ができなくなっています。
長いこと生産をしていないようで、10年の月日がたっていると言います
元々二千円札自身が実験的な存在であったとも思えています。議場防止技術に関してはその後2004年になって同じ技術が他の紙幣にも使われるようになりましたし、銀行や自動販売機などを対応させるための仕事の発注を増やす事で小さいながらも景気対策の一環となること、首里城という沖縄の遺産と中世日本の紫式部という歴史の融合。
今となってはそのすべてが意味のある行動だったとは言いがたく、日本中を巻き込んだ一大実験は失敗に終わったというところでしょうか。
これから先、目にすることは少なくなるでしょうし手にすることも人によっては二度とないことかもしれません。
使い勝手は悪かったのは事実、しかしよく見てみるとデザインはよくできていて美しいとも思えるデザインが施されていました。
なくなってしまうのは残念ですが、必要がなかった物が消えていくのは市場原理です。仕方がありませんね。

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