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  • インターネット昔話第2回~ISP隆盛と淘汰の歴史

    インターネットが一般に普及してから約15年、様々な事がありました。
    今回は、ISPについて少々書いてみたい。

    ISP、一般的には単にプロバイダーと言う事が多い。
    正確には、インターネットサービスプロバイダーである。
    プロバイダーと言う言葉には、案内人の意味がありインターネットの案内人、仲介と言うような意味にとらえるべきだろうか。

    黎明期のISP達

    日本のインターネット黎明期には、従量課金による接続料の発生が基本となっており、最初期では3分10円から高い所では1分30円などという所もあり、それとは別に入会金や基本使用料が発生するのが一般的である。
    ともかく、個人で利用するとなると多額の使用料金が必要だった時代だ。
    この使用料はインターネット使用料であるため、別途電話回線使用料が発生する。
    そう考えると、インターネットへ10分接続すると最低でも80円程度は掛かることになる。今では考えられないほど高額なサービスだ。
    1995年から夜間はテレホーダイがあったが、日中は従量課金が発生するので、常時接続など夢のまた夢の事であった。
    黎明期にあったのはリムネットやJETON、BEKKOAMEなど。この中でもBEKKOAMEは他社に比べてとんでもなく安く、年会費2万円、入会金1万円と、3万円で接続制限がなかった。
    リムネットは基本使用料1800円で7時間まで、それ以降は従量制で3分10円だが青天井なのでハマるととんでもない課金が発生することになる。

    乱立されるISPとインターネットブーム

    1995年に発売されたwindows95はインターネット標準プロトコルとなるTCP/IPを標準で利用が可能で、別売ながらもInternet explorer2.0(海外版は1.0)を売りはじめ、ほぼ標準でインターネット接続を実現した。
    また同時期にネットスケープ・コミュニケーションズよりNetscape navigater2.0がリリースされ、長期に渡ってブラウザーを牽引していった。
    この両者ブラウザーに関しては、また別の機会に詳しく書きたい。
    これによってインターネット人口は爆発的に増加していく事になる。
    それまでは高額だった高速モデムも低価格化され、一部のマルチメディアパソコンには標準でモデムがついてくるようになっていった。
    需要が増えればそれに応じて様々な企業が参入してくる。
    まさに、雨後のタケノコの様にISPも次々と設立されていく事となった。

    199502
    1995年頃のISP、まだ数えるほどしかなかった。

    そしてライバルが増えれば料金が下がるのは当然、徐々に従量課金と上限を定めた固定料金のプランが出てくる様になった。
    パソコンメーカーやソフトメーカー、どこでもISP事業を始める時代となる。
    パソコンメーカーやソフトメーカーも挙って参入をし始めた。
    パソコン通信時代を乗り越え、インターネットでも一定の成功を納めている富士通はニフティーサーブをパソコン通信を続けつつ新しくinfowebを始めていく。
    ニフティーサーブもインターネットへの接続サービスも行い始めるが、当初の利用料金はとてもじゃないが競争力があると言えるものではなかった。
    同じくパソコン通信を行っていたNECはパソコン通信サービスPC-VANとISPとして新しくmeshを起ち上げてユーザーの獲得を狙った。
    1996年にはパソコン通信の利用者減から二つのサービスを統合し、新しくBIGLOBEとして事業を開始し、現在に至る。古くから残るパソコンメーカー系ISPである。
    富士通も1999年にinfowebとニフティーサーブを統合して@niftyとして生まれ変わった。
    1995年から1996年に掛けては、多くのISPが誕生すると同時にパソコン通信時代の事業見直しも多かった。Asahi-netは1994年の段階でパソコン通信事業からISPへと方向性を換えている。
    1995年から1998年頃まではISPの誕生ラッシュであった。
    通信会社もソフトメーカーもISP事業を起ち上げた。ソフトメーカーといっても大企業ではなく中小企業のシステム屋等が副業の様にISP事業を始めることも多かった。
    二次プロバイダーというIPX(IPエクスチェンジ、ISPなどの相互接続ポイント)に直接は繋がってない小規模のプロバイダーとして地方都市や、地元密着サービスを展開していた。
    当時のインターネット人口を考えると明らかに過剰な数のISPが誕生していった。

    199602

    わずか一年足らずでこのように多数のISPが現れた。

    そして淘汰の時代へ

    ダイヤルアップの時代は各家庭までの通称ラストワンマイルが低速であり、ISPのバックボーンが低速であってもある程度は賄えていたが、1999年頃から始まるブロードバンドと言われる時代になると低速バックボーンではどうにもならなくなってきた。

    image
    採算ベースが上がり中小のISPでは体力的に厳しく、淘汰の時代へ移って行った。
    バックボーンの強加をしないと加入者は離れていくがバックボーンの維持にはどうしても多額の資金が必要となる。
    加入者も余り多くない地方の中小企業ISPは廃業や事業の譲渡などが増えていき、淘汰される時代へと移行していった。
    そんな中には白物家電を扱う家電メーカーが立ち上げたISPも少なくなかった。

    家電系ISP達

    元々自社で独立した回線を持っている企業は、そのインフラを生かしてISP事業に参入してきた。
    松下、ソニー、三菱、三洋等、大手メーカーは挙ってISP事業を起ち上げていった。
    松下はhi-ho、ソニーはso-net、三菱がDTI、三洋はSANNETとして発足していった。
    各社は自社販売のパソコンやデジタル製品にもサインアップ可能なCDやツール、申込書などを添付し少しでも加入者を増やそうとしていた。
    しかし、前述のニフティやビッグローブなどに比べてその会員数は伸び悩み、現在ではほとんどが事業の売却をしている。
    そんな中でも家電系ISPで一番成功したのはso-netだろう。
    so-netはソニーの完全子会社ではなくなり、ソニーの名前を使わなくなったが独立したISPとして確立されており他社に比べて成功している。

    imageキラータイトルだったPostPet

    これは、初期のPostPetブームやwebガジェットとして利用できるハーボットなどのサービスでユーザーをつかんだのも理由だろう。
    ADSL普及時に突然イーアクセスと手を切ってアッカの契約だけに絞ったりしたのも今では懐かしい話だ。
    家電ISPはほかのメーカーは散々なものだ。
    hi-hoやDTIは事業売却、SANNETも細々と事業を続けるに留まっている。

    ISPの話はまだまだ尽きないが

    現在では、通信会社大手のNTTコミュニケーションズが運営するOCN、Yahoo!BBなどが最大手ISPであり、会員数はOCNが800万人を超えているという。
    しかし、固定回線を利用した会員数は頭打ちで、乗り換えや回線の切り替え(ADSLから光への変更など)を契機にしたものがほとんどだ。
    この流れは今後も続いていくことだろう。
    特に都心部では移動体通信が増えてきておりこれから先はISPは携帯電話ともシェア争いをしていかなければならなくなりそうだ。
    今後も統合や淘汰が続くであろうISP、未来は決して明るいものではない。

  • レーシック、視力回復への道~手術当日、そして・・・~

    こんにちはtknriiiiです。
    手術から二週間が過ぎ、ドライアイ?疲れ目?の症状は相変わらずですが、ものを見るときの安定性が増したような気がします。
    右目と左目で感覚がかなり違うので、これはどうしたものかとは思いますが、元々左目の奥から眼精疲労で頭痛を起こすことが多かったので、それが軽減されただけでもましです。
    左目の違和感はとれてませんが、仕方が無いのかなと半ば諦めてます。
    今回は手術前日から当日、翌日検診までの流れをお話しします。
    なお、ここで書かれていることはtknriiiiの実体験に基づくもので、個人差があることをお断りし居ておきます。

    手術前日

    3時間おきに抗菌目薬をさすことで、術後の炎症を抑えると言うことでしたが、完全に無視してました。
    3時間おきでは無く、2回くらいしか使ってません。
    本当はちゃんと使うべきだと思っていますが、まあそれでも何とかなるって事で(笑)
    それよりも、この段階まで本当に良いのだろうか…と悩んでいた。
    結構な値段するしね…。
    しかも、前回に「お客さん」扱いされているし…。
    と思いつつ、結果として手術を受けることにしました。
    下準備して、ここでやらなかったら二度とやる気にならないだろう。
    面倒だけどやっちまおう。と、勢いだけで決定。
    一応言っときますけど、ビビった訳じゃ無いですよ。

    手術当日

    当日は化粧やら、車の運転やらは禁止とのこと、視力が安定しないことやぼんやりとしか見えないことから、危険防止のためのようです。
    12時の予約だったので、それに間に合うように出発、12時少し前に到着。
    到着すると、また以前と同じような視力検査をされる、何回やれば気が済むんだというような内容で、本当に意味があるのかと疑ってしまう。
    30分程の検査の後、手術を行う場所へ移動する。
    ここから暫くの間はトイレ及び飲食は禁止。
    そんなに長い間ではないが、気をつけましょう。
    少し移動して控え室へ、この時に靴もスリッパに履き替えます。
    ケータイを含め、ポケットの中も空にするように言われます。
    控え室では、髪の毛もペーパーキャップを被って出さない様にします。
    ま、私はスポーツ刈りと言う名の坊主頭なので、ここは全く影響ありませんでした。
    頭にヘアピンやカチューシャなどを付けているとここで外すように言われます。
    頭を固定するので、じゃまになるものはすべて排除、という感じです。

    最後にもう一度目の検査として光を当てて見られます。
    手術前の最後の検査がここで終ります。麻酔の点眼、つまり目薬をさされます。
    手術室の空き状況で呼ばれる順序が異なりますが、大体高いプランから呼ばれるようです。
    この麻酔のあと、何となく視界がぼんやりします。
    焦点を合わせられないというか、合わせようとしてもうまくいかないという感じです。
    実際の手術内容は結構生々しいものです。
    ここにはふさわしくないかもしれませんが、あえて細かい内容を書いてみます。
    改行を少し入れるので、見たくない方はここでお別れです。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    まず、フラップという目の表面に薄い膜を作るためのレーザーを当てます。
    これが検査でさんざん言われる「角膜の厚さがないとできない」の理由です。
    具体的な形状は見えてないのでわかりませんが、丸い輪っかみたいなのを目に取り付けられます。
    黒目の周りにその器具がつくような感じになります。
    なので、基本的に目を動かすことが困難な状態となります。
    これが結構な力を加えられるので、目に圧迫感を感じます。
    まぶたが閉じないようにテープのようなもので固定され、まばたきもできない状態にここでなります。
    この時点で私は痛みなどはありません、ただ圧迫感がする事だけは事実です。
    上に設置されている機械は回りに照明があり、真ん中に赤いランプが見えます。
    おそらくここからレーザーがでるんでしょうね。そのときにはレーザーの明かりがやけにまぶしく見えたのだけを覚えています。
    そして、その明かりが一定の時間を境にぼやけていき、数十秒で終わります。
    フラップが完成した証拠でしょう。
    光がぼやけ、周りが白く雲がかかったかのように見える。
    この時点ではまだ視力は元のまま、つまり近眼、乱視に加えて周りが白く見えるので、ほとんど見えない状態。
    看護師が一人付き添い次の部屋へ移動、高いプランだとこの移動が無いそうですが、別に移動しても良いし、こうしてネタにできるんだから逆に楽しいことじゃないかと良い方向へ考える。
    移動すると、再度麻酔らしき点眼、そして再びレーザーを当てるための準備。
    このときにはなるべく目を閉じているように言われます。
    目が乾くから~と言われつつ、薄目でみてたんですけど、別に物珍しいものがあったわけでも無いのが残念でした。

    さて、再度まぶたを固定されます。
    今度は黒目の固定具は無く、その代わりに銀色のものが一瞬見えました。
    フラップを開いたときでしょう。
    その後、いきまーすと言われて秒読みが始まります。
    確か42秒ですと言われたような覚えがありますが、器具のモーター音が結構していてはっきりとは聞き取れませんでした。
    真上に見える緑のレーザーをみていると、なにやら焦げるにおいが…。
    この時点でレーザーで目を焼いているのでしょう、目と鼻の先と言うくらいです、はっきりとにおいを感じ取れるのは人によっては嫌なことかもしれません。
    私はこの性格なので、おー焼けてる焼けてるwwwwと楽しんでました。
    途中目が派手に動くとレーザーが止まってそこから残りのカウントのやり直し。
    右目はあっさりと終わりました。
    左目、2回目になるわけなので心理的にも余裕ができます。
    目を動かすつもりじゃないんですけど、自然と思いっきり動いていたようでかなりの時間を要しました。
    といっても2分か3分ですけど。
    このとき、フラップを開くピンセットもはっきり見えていたので少し目で追ったんですが、さすがにそれは言われました(笑)
    ふざけんなって事でしょうね。

    レーザーで焼き終わると水が流されて再びピンセットが見えます。
    ふたを閉めたところでしょうか、固定テープを外されて手術終了。
    休憩室へと移動させられます。
    このときめがねはもちろんしていないんですけど、周りの見え方が変わっていることに気がつきます。
    まだ白く雲がかかったようにはなっているんですが、結構見えるんです。
    今までめがねを外すとなーんにも見えなかった風景が見えるんです。
    30分ほどフラップを安定させるために目をつぶって待機してと言われるのですが、ものすごく暇です。
    また、目をぎゅーっとつぶらないでーなどと言われてる人もいました。
    フラップがずれるのでやめてくださいと。
    コンタクトをつけたばかりの状態と同じなんでしょうし、仕方が無いこと。
    最後にずれがないか検査をして終わり。
    UVカットのめがねと数種の目薬を渡されます。
    翌日検診があるので、次の日の同じ時間に来て欲しいと言われて解散。
    UVカットめがねは機能重視なので見た目はださいです。
    しかも、少し暖かかったせいかめがねが曇る。早い話目をつぶってりゃ良いんだろ。
    というわけで、電車の中でずーっと目を閉じていました。

    終わってから…痛がゆい

    帰り道、電車の中で目が痛がゆいんです。
    かといって目をこすれないので目薬をじゃんじゃん使うわけで。
    元々、手術当日は1時間おきに目薬を使って欲しいと言われます。
    痛み止めや細菌を減らすやつ、炎症を抑えるやつ、すべての目薬を駆使してこの痛みに耐えていました。
    目が痛いといっても、目の奥では無く表面が痛いというのはあまり経験がありません。
    さらに、目もこすれないしどうすれば良いんだこれ、と言うのが正直なところでした。
    PCもろくにいじれないし、何しろ目を開けていたくない、というわけですぐに寝ちゃいました。
    そうそう、この寝るときにも無意識に目をこすらないようにとプラスチックのカバーのような眼帯を渡されますが、それをつけることすら忘れて寝てました。
    夜中、といっても10時頃でしょうか目が覚めると明らかに違います。
    ああ、めがねをつけたまま寝たんだっけ、とめがねを外そうとする仕草、もちろんそこにめがねはありません。
    それくらい今までと違って見えます。
    高い金を出したんだから当たり前だろとも思うし、こんなにくっきりものが見えるのって何十年ぶりだろう、とも思ってしまいます。

    翌日検診

    フラップのずれやしわが無いかを確認され、問題が無いようであれば終わり…とは行きませんでした。
    その後勧誘まがいに紹介制度の説明やら、ほかの美容整形の話などをされます。
    目がまだよく見えてないんだからふざけんな。
    そんな感じです。
    紹介制度などに関しては、どこでもやっているようなので、近くにレーシックをやった方がいれば聞いてみると良いでしょう。
    簡単に言えば、値引きできますよー、そして紹介者にもキックバックありますよーって事です。
    翌日検診が終わればめがねもとりあえず無くてもかまわないし目薬は1日5回使うように変わります。
    次に一週間後を目安にもう一度きて欲しいと言われて終了。
    一週間後検診は視力がどれくらいになっているかと、問診だけです。
    このときに私は目が異常に乾くと言って追加の目薬をもらいました。言えばくれる用なので、もらっといて損はありません。
    ここまでくれば後は人によってはよく見えていたり、私みたいに戸惑ってはっきり見えてるんだか見えてないんだか、ってなる人に別れるようですね。
    一か月近くたった今でこそ目の乾きはまだありますがだいたい普通に見えます。
    ただ、深酒をした翌日などはちょっと不安定なので、そこだけ注意しています。

    3回にわたってレーシックのことを書きましたがいかがでしょうか。
    正直言って、確かに見えるようにはなりましたがレーザーで「焼く」と言うことに抵抗がある人はお勧めできません。
    非可逆という言い方をしますが、戻せない手術になるので、何かあったときには最悪の結果を招くこともあるでしょう。
    しばらくは運動なども制限されるため、手術期間を含めて4日程度で終わりますが、元の生活に戻るにはやはり一か月以上はかかるでしょう。
    未だに私は手元が見えない事に対して落ち着きが無く、本やケータイを離してみるという事になれません。
    当然でしょうね、視力が落ち始めたのは小学校の頃なので25年近くもそういう生活をしてきたのですから。

    それではまた。

  • レーシック、視力回復への道~手術への道~

    こんにちはtknriiiiです。
    手術から約十日が過ぎて、少し安定してきました。
    今まで見えづらかった液晶も結構良い感じに見えてきています。
    何より、裸眼で膝の上に置いたノートの文字が余裕で見えるのが良い感じです。
    眼鏡をしていても、反射して見えづらいことが多かったんですが、そういうことが減りました。
    良いことです。
    今回は何でレーシックなんて今更やったんだ、と言うところと検査の時に起きたことを書いて行きます。
    なお、ここで書かれていることはtknriiiiの実体験に基づくもので、個人差があることをお断りし居ておきます。

    二十二年も眼鏡をしてきた私、今更なんで?

    私は子供の頃から目が悪く、中学の時に学校の先輩とケンカ沙汰になりかけてから眼鏡を掛けました。
    友人かと思って見たら、ガン付けてるとか言われたのがきっかけです。
    だって見えないから目を細めちゃうんだもん(近視の人はわかると思います)。

    で、眼鏡を買って以来二十二年間眼鏡と共に生きてきました。
    コンタクトレンズはケアできない人間なので興味もありません。
    また、かつては乱視持ちはコンタクトレンズは意味が無いと言われており、今は違うんでしょうけど、その頃はコンタクトレンズを使用する気にはならなかったのが本音です。(一番の理由は手入れがめんどくさい)
    バイトや配管担ぎしていた頃は眼鏡がジャマな事が多くて往生しました。
    で、デスクワークメインになってからと言うもの、眼精疲労が元と思われる頭痛が多く、左目が特にひどいんですが、目の奥がずーんと痛くて頭痛へと繋がっていました。
    で、この年になっていきなりやろうと思ったのは、最後に買った眼鏡がサイズが合わず、プラスティックフレームであることから、汗で滑ってよく落として居たこと、かといって買い換えるのもなあ、と言う気持ちと、実際に眼鏡が無い自分になってみるのも良いのでは無いか、という安易な気持ちから始まりました。
    そして、もちろんここのネタとしてもおもしろいかなと(笑)

    変な理由と言われればそれまでです。でも、きっかけなんて何でも良いんです。
    本人がどう考えるかですから。

    術前検診

    私は品川近視クリニックと言うところでレーシックを受けました。
    実績がどうのとか、設備がどうのとか、そう言うのでは無く、単に立地的条件で【品川近視クリニックだから品川にあるんだろう】と地図も見ないで検査予約をしました。
    で、その予約の電話の最中に
    「有楽町駅の目の前の○○ビル」…え?品川近視クリニックなのに有楽町?もしかしてしくじった?
    地図を見ると確かに有楽町と書いてある…。
    しくじりました。
    かと言って、今さら品川じゃないので止めますと言うのもおかしな話。
    取りあえず行ってみる事にした。
    なんかあれば、その時は考えようと気楽に考えていた。
    術前検診でやることは、目の状態を確認する内容で、視力や眼圧など、角膜の形状や厚さ等々、ただどう考えても同じ事を何度もやっているだけで念入りなチェックをしていると思わせているだけでは無いかと感じる所が多々ありました。
    ここは、俺がひねくれ者なのかもしれませんけどね。
    どうも重要なのは、角膜の厚さ、つまりめくるための表面があるかどうかと言うところが重要で、後は視力に合わせたレーザー照射時間を設定するだけのようです。
    しばらくの間視力検査なんてしてなかったので、現在の視力をはっきり言われるとちょっとびっくりしますね。
    私は0.03(両目とも)と言われましたが、確かにほとんど見てないに等しかったのは事実です。
    眼鏡を外すと、ケータイ見るのも10cm程度の位置でないと見えませんでしたし(笑)
    さて、術前検診が終わったところで遺伝子異常を調べる検査があります。
    500人に1人くらいいる何とか症というやつを持っていると水晶体が濁って見えなくなると言うことらしいです。
    歯茎をこすって唾液やら白血球やらから調べるようで、検査の最後に大きめの綿棒を渡されます。
    品川近視クリニックでは、この検査に1万円も取ります。
    検査後に金を払い、手術を3ヶ月以内に設定すると手術費用から1万円減額される「実質無料」の制度を取っています。
    冷やかし検査を防ぐためなのかもしれませんね。
    このDNA検査の結果はその場ではわからないが、ここでいったん検査は終了。
    問題なさそうであれば、手術日の設定などを行います。

    ふざけた態度をとる、さすがは脅迫商法

    この術前検診の最後に医師と問診があるんですけど、いきなり高いプランを勧めてきたりします。
    安いやつだとこんな事が起きますよとか、さんざん脅すやり方です。
    この辺は、美容整形の流れなんだなあと実感。
    いきなり最初に35万のこれがいいっすよ、とか言って来やがったので

    ケンカ売ってんの?

    と、ちょっと言っちゃいました(笑)
    で、安い方だとこういう現象が起きるとか言うことをさんざん言ってきたので、

    そこまで言うなら実データ出せ、どれくらいの例があってどういう風に見えるのか具体的なのを出せ。

    そういった所で逆ギレされました…「決めるのはお客さんなので!好きにしてください」と。
    お客さんと言われました。これはものすごく耳に残ってます…。
    あと、24万のやつが今5万円引きやってますとクーポン渡されました。
    美容整形ですね、簡単に値引きクーポン出すあたり、かなり儲かってるんでしょう(笑)
    まあ、そういう所なんでしょうね。
    結果として、裸眼で過ごせる程度であればいいわけなので、15万くらいのやつにしました。
    そんなに金があるわけでも無いですしね。
    手術日はその日のうちに設定、丁度3連休を取っていた時にやろうと言うことにしてこの日は帰りました。

    印象は悪いのが事実

    まず、固い意志を持っていないと流される事があるかもしれません。
    ローンもあるから大丈夫とか、おまえら宗教家かと言いたくなるようなことも多く、はっきりと自分の意見を持たないといつの間にか高いローンを組まされるかもしれません。
    ここに関しては、終わった後でも感じた事ですが、それはまた後日お話しします。
    なんだか悪い事を書いているようですが、最終的に判断するのは手術を受ける本人です。
    次回は実際に手術当日~翌日検診について書いてみたいと思います。

  • レーシック、視力回復への道~概略~

    こんにちは、tknriiiiです。
    めっきり寒くなりましたね。
    皆さん、体調管理には気をつけましょう。

    今回から数回に渡って実体験、レーシックのことを書いて行きたいと思います。

    ここで書かれていることは、tknriiiiの実体験に基づくもので、個人差があることをお断りしておきます。

    一応、レーシックってなんぞや?

    視力回復のための方法で、早い話、目玉をはつってレーザーで角膜を焼いて強制的に屈折率を変えるというやや荒技のように見える事をやるのがレーシックです。
    あ、はつるってのは削るとかの意味です。一般用語じゃ無いかな?土木ではよく使う用語ですが。
    一般的には視力矯正は眼鏡かコンタクトレンズが一般的でしょう。
    ただ、あくまで外的に補正をするのがそれらで、目玉を直接いじるのがレーシックのやり方です。
    なので、眼鏡眼鏡と探したり、ケア用品を使って保存したり、毎日付け外したりという事が不要なのです。
    眼鏡の煩わしさに疲れた人たちがやっており、結構な数の業者があります。

    どんなことするんだ?

    レーシックをしている業者のサイトには、何とかレーザーでふたを作り、何とかレーザーを照射します。
    なんてかかれ方をしていますが、だいたいあの通りだと思って間違いありません。
    最初、赤い光のレーザーを当てられ、フラップ…つまり目の表面を開くためのふたを作ります。
    その後、そのふたをペロッと開いて違うビームを当てる。
    ふたを戻して終わり。という流れです。
    具体的なことは後述しますが、所要時間はものの10分程度、終わった後に目を休ませてとなるんですが、その方が長かったりします。

    手術までの流れ

    まず、検査と称して目玉を色々と調べます。
    角膜の厚さや眼圧、形状、視力や角膜の厚さ。どこまでが役に立っているのかわかりません。
    でもまあ、なんだかんだと言って手術ですから、いろいろな検査は必要なんでしょう。
    終わったら、DNA検査があります。
    遺伝子異常を持った人がレーシックを受けるとダメなんだそうで、それを確認するための処置という事です。
    口の中をこすって、歯茎もしくは白血球などから調べるそうで、ガムやチョコを食べていたりするとちゃんと調べられないんだそうで、一連の検査前にここは注意されます。
    ま、説明聞いたときには1時間前から飲食水以外は禁止と私は言われたんですけどね(笑)
    検査の結果、いけそうな感じならば手術日を決めます。
    やはり土日や連休は混み合うようで、平日がいけるなら平日の方が良いかもしれませんね。
    ちなみに、翌日検診が必ずあるため、検査日を含めて計三日は時間が必要です。
    また、一週間後、三ヶ月後の検診で二日あるので、全部で5日間は必要になります。
    これは時期をずらせるので、連続で取る必要があるのは手術日と翌日検診の二日間です。

    いざ、ゆかん。眼鏡なしの生活へ

    手術日を決めたら後は処理されるだけです。
    レーシック業者はたくさんあるし、料金もピンキリなので自分に合った…というか、強い意志を持ってプランを決めましょう。
    と言うのも、元々美容整形の部類に入る業者が多いので、脅迫概念をあおったりして、高いプランで手術させようとします。
    たとえは悪いかもしれませんが、包茎手術の時に、亀頭デカくするのにシリコンを入れなきゃ、いぼいぼが良いので真珠を入れた方が、長茎術をやった方がとか、色々と悪い事を吹き込んだあげく高くする。
    そういうのがレーシックでもあります。
    最初からこっちのプランだとこういう不利があります。というのをあおってくるので、負けない心が必要です。
    まあ、あえて高いプランにしてみるのも良いかもしれませんが。

    手術前日および当日は酒と目の周りのお化粧は禁止。コンタクトレンズは二週間前から禁止という制限はあります。
    また、保護用眼鏡を当日と翌日、風の強い日などに付けることを勧められますが、この眼鏡はUVカット+ホコリが入りづらい形状=湿気がこもりやすいので、人に寄っては曇っちゃうかもしれませんね。
    当日は検診として、前の検査と同じように当日の目の調子を確認されます。

    いざ手術となると、普通は緊張するものですが、私はどちらかというと楽しんでいて、ここの記事にするに丁度良いな。とか、どんなネタにしてやろうかなんて考えてました。
    術前に麻酔の点眼、目薬をさされます。
    聞いてくるまで少し時間が掛かるんですけど、その間はまぶたの周りからぼんやりと感覚がなくなるので、目の乾きなども感じなくなります。
    と言っても、癖で瞬きはするのでそんなに気にすることも無いでしょう。
    手術が終われば、目を休めるために30分ほど座ったままで放置されます。
    目をこすったり強くまぶたを閉じないようにと言われ、しばらくすると炎症を抑える目薬を刺されて最後に検診。
    ふたがずれてないかを確認して帰宅できます。
    混みように寄るとは思いますが、だいたい1時間~3時間程度の時間が必要です。
    ただ、手術自体は10分程度ですけどね。

    ざっと流れを最初にご案内しましたが、いかがでしょうか。
    次回はもっと詳細をお話ししていこうと思います。

  • [インターネット昔話]第1回 インターネット前夜、パソコン通信

    今回から、不定期にインターネットの昔話をしていきたいと思います。
    そんなことは今更どうでもいいといわれるかもしれませんが、歴史を知っておくのもおもしろいかもしれませんよ。
    まず最初に、インターネット前夜としてまだインターネットが一般的では無い時代、パソコン通信の時代について特に日本の状況をお話したいと思います。
    なお、個人的に偏ったところがあるので、PC-VANの方が本当は上だ、とか、ASAHIネットは無視するのかこの野郎、なんて話はご容赦ください。

    大手企業によるパソコン通信サービス

    まだインターネットが利用される前の時代、ネットワークと言えばパソコン通信のことでした。
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    ダイヤルアップでホストコンピューターと接続し、掲示板やチャットを利用する。
    メールもそのときに利用できていましたが、あくまでも同じサービスを使っている人へのメールで、今のように誰にでも送れるような時代ではありませんでした。
    もちろん画面もテキストベースで、コマンドを打ちながら操作をするCUI(キャラクターユーザーインターフェイス)しかない時代でした。
    大手パソコンメーカーのうち富士通、NECは自社でパソコン通信を行なっており、NECはPC-VAN、そして富士通は日商岩井とともにニフティーサーブを立ち上げ、多くのユーザーを獲得していきました。
    また、草の根ネットと言われる個人営業のパソコン通信などもあり、人気のあるところでは、なかなかアクセスできないといったこともあった時代です。
    この時代は一部の企業以外では社内ネットワークなどもあまり整備されておらず、オンラインでダム端末などを使うような時代だったかもしれません。
    興味本位でパソコン通信へ入りのめり込む、そんな人々が多かった時代でもありました。
    1990年代初頭まではPC-VANが優勢でしたが、やがて商社が営業についているニフティーサーブが力を伸ばし、インターネットへの移行直前ではニフティーサーブの会員数が200万人を超えていた時代もありました。
    それでもまだまだネットを使う人は少ない時代、初心者お断り的なところがあった事も否めません。

    コマンドはやりづらい、ならばやりやすくすればいい

    私はニフティーサーブしか使ったことがないので、ほかのサービスについては余りよくわかっていませんが、CUIでの操作なので見た目はシンプルだが操作は大変だった時代、「素」の状態では使いづらいことが多かったのも事実でした。
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    メールを見るにも/go mail read 1などとコマンドで処理を行なうか、一つ一つ画面上で数字を選んでいく事で進む。
    コマンド選択方式の初期のアドベンチャーゲームの様なものだ。
    操作に慣れるまでに時間が掛かるが、当時はパソコンを使っている人であればコマンドラインは日常的に利用しているので、わからないから使えないと言うことは少なかった。とはいっても、めんどくさいものはめんどくさい。
    それに、つないでいる間は料金が掛かる従量課金、電話代だって馬鹿にならない。
    ならば、ログを残せるようにして、後から読めばいいじゃ無いか。と言うことで、自動でデータを取得するオートパイロットと言われるソフトが誕生していった。 image
    wtermなどマクロを組めるものもあったが、会員数が増えていき自分では対処できないいわゆる「ライトユーザー」が増えてくるとオートパイロットソフトはそういったライトユーザーに対応できるものへと進化していった。
    また、それとは全く別に「チャットアダプター」と言われるチャット専用のツールも用意されるようになっていった。

    こちらは、ログを取っておくこともできたことから、一部で重宝された。

    閉じられたネットワークの中で

    オフラインミーティングと言われる、早い話直接会って飯に行ったり遊びに行ったりという事も盛んに行なわれ、一つのコミュニティーとして形成されていった。
    中には事件なども発生し、問題となったこともありました。
    ユーザーが増えるにつれて知識がないまま使って問題に巻き込まれるという事も少なくありませんでした。
    1994年頃にはニフティーサーブが頭一つ抜け出して、200万人近いユーザー数を獲得していたようで、まさに絶頂期だったパソコン通信。
    しかし閉じられたネットワークからオープンなネットワークへと世界は流れ始めていきました。

    インターネットへの流れ

    まず最初にパソコン通信から離れていったのはグラフィカルな部分、つまり画像を扱うような分野でした。
    CUIで圧縮したファイルをアップロードし、各自がダウンロードして展開して中身を見る、そんな面倒なことが必要のないインターネット、GUIの世界へと移動していきました。
    htmlに画像を貼り付けて、WEBとして公開すれば難しいことは必要なく画像を見たり載せたりする事が可能となっていく。
    これは、パソコン通信では行えなかった新しいやり方です。
    一番ユーザー数が多かった1994年以降は、ほぼ横ばいのまま1997年頃にはインターネットへの流れに歯止めが掛からぬままパソコン通信は衰退していきます。
    コミュニティーに集まっていた情報はインターネット上で同じようにえられるようになり、インターネット上の方が早く正確な情報が掲載されるようになると、わざわざCUIのパソコン通信へ接続するメリットはなくなってしまいました。

    パソコン通信の終焉ともたらされたもの

    パソコン通信は2000年頃にはほとんどなくなっており、サービスもニフティーサーブが2006年まで続けたものの、最後には利用者はほとんど居なかったという。
    立ち上げ当時や新しいものに触れたときの楽しさ、情熱などはどの時代でもあるものだろうが、そんな中でもあの時代は見るもの、触れるものすべてが新しいものに見えていた時代。
    のめり込む度合いも半端ではなかっただろう。
    そして、ネットワーク上でのマナーを持った者としてインターネットの世界へと旅立っていった。
    今となってはすべてが懐かしい時代、インターネット前夜としてはふさわしいのではないでしょうか。

    なお、ニフティーサーブは、今では@niftyとなり、現在25周年記念としてhttp://www.nifty.com/25th/niftyserve/
    こんなサイトを作っている。
    なお、アプリ版では起動時にダイヤルアップのネゴシエーションの音までするものを作っている。
    別に何ができるというわけでもないが(フォーラムごとに掲示板があり、タグを付けてツイートする事が可能になっている)当時を懐かしむ、どんな者だったのかを見てみたいという人はぜひ一度見てみてください。

     

    次回のインターネット昔話は

    インターネットサービスプロバイダー、ベンチャーの夢を見た業者(予定)をお送りします。