[インターネット昔話]第1回 インターネット前夜、パソコン通信

今回から、不定期にインターネットの昔話をしていきたいと思います。
そんなことは今更どうでもいいといわれるかもしれませんが、歴史を知っておくのもおもしろいかもしれませんよ。
まず最初に、インターネット前夜としてまだインターネットが一般的では無い時代、パソコン通信の時代について特に日本の状況をお話したいと思います。
なお、個人的に偏ったところがあるので、PC-VANの方が本当は上だ、とか、ASAHIネットは無視するのかこの野郎、なんて話はご容赦ください。

大手企業によるパソコン通信サービス

まだインターネットが利用される前の時代、ネットワークと言えばパソコン通信のことでした。
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ダイヤルアップでホストコンピューターと接続し、掲示板やチャットを利用する。
メールもそのときに利用できていましたが、あくまでも同じサービスを使っている人へのメールで、今のように誰にでも送れるような時代ではありませんでした。
もちろん画面もテキストベースで、コマンドを打ちながら操作をするCUI(キャラクターユーザーインターフェイス)しかない時代でした。
大手パソコンメーカーのうち富士通、NECは自社でパソコン通信を行なっており、NECはPC-VAN、そして富士通は日商岩井とともにニフティーサーブを立ち上げ、多くのユーザーを獲得していきました。
また、草の根ネットと言われる個人営業のパソコン通信などもあり、人気のあるところでは、なかなかアクセスできないといったこともあった時代です。
この時代は一部の企業以外では社内ネットワークなどもあまり整備されておらず、オンラインでダム端末などを使うような時代だったかもしれません。
興味本位でパソコン通信へ入りのめり込む、そんな人々が多かった時代でもありました。
1990年代初頭まではPC-VANが優勢でしたが、やがて商社が営業についているニフティーサーブが力を伸ばし、インターネットへの移行直前ではニフティーサーブの会員数が200万人を超えていた時代もありました。
それでもまだまだネットを使う人は少ない時代、初心者お断り的なところがあった事も否めません。

コマンドはやりづらい、ならばやりやすくすればいい

私はニフティーサーブしか使ったことがないので、ほかのサービスについては余りよくわかっていませんが、CUIでの操作なので見た目はシンプルだが操作は大変だった時代、「素」の状態では使いづらいことが多かったのも事実でした。
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メールを見るにも/go mail read 1などとコマンドで処理を行なうか、一つ一つ画面上で数字を選んでいく事で進む。
コマンド選択方式の初期のアドベンチャーゲームの様なものだ。
操作に慣れるまでに時間が掛かるが、当時はパソコンを使っている人であればコマンドラインは日常的に利用しているので、わからないから使えないと言うことは少なかった。とはいっても、めんどくさいものはめんどくさい。
それに、つないでいる間は料金が掛かる従量課金、電話代だって馬鹿にならない。
ならば、ログを残せるようにして、後から読めばいいじゃ無いか。と言うことで、自動でデータを取得するオートパイロットと言われるソフトが誕生していった。 image
wtermなどマクロを組めるものもあったが、会員数が増えていき自分では対処できないいわゆる「ライトユーザー」が増えてくるとオートパイロットソフトはそういったライトユーザーに対応できるものへと進化していった。
また、それとは全く別に「チャットアダプター」と言われるチャット専用のツールも用意されるようになっていった。

こちらは、ログを取っておくこともできたことから、一部で重宝された。

閉じられたネットワークの中で

オフラインミーティングと言われる、早い話直接会って飯に行ったり遊びに行ったりという事も盛んに行なわれ、一つのコミュニティーとして形成されていった。
中には事件なども発生し、問題となったこともありました。
ユーザーが増えるにつれて知識がないまま使って問題に巻き込まれるという事も少なくありませんでした。
1994年頃にはニフティーサーブが頭一つ抜け出して、200万人近いユーザー数を獲得していたようで、まさに絶頂期だったパソコン通信。
しかし閉じられたネットワークからオープンなネットワークへと世界は流れ始めていきました。

インターネットへの流れ

まず最初にパソコン通信から離れていったのはグラフィカルな部分、つまり画像を扱うような分野でした。
CUIで圧縮したファイルをアップロードし、各自がダウンロードして展開して中身を見る、そんな面倒なことが必要のないインターネット、GUIの世界へと移動していきました。
htmlに画像を貼り付けて、WEBとして公開すれば難しいことは必要なく画像を見たり載せたりする事が可能となっていく。
これは、パソコン通信では行えなかった新しいやり方です。
一番ユーザー数が多かった1994年以降は、ほぼ横ばいのまま1997年頃にはインターネットへの流れに歯止めが掛からぬままパソコン通信は衰退していきます。
コミュニティーに集まっていた情報はインターネット上で同じようにえられるようになり、インターネット上の方が早く正確な情報が掲載されるようになると、わざわざCUIのパソコン通信へ接続するメリットはなくなってしまいました。

パソコン通信の終焉ともたらされたもの

パソコン通信は2000年頃にはほとんどなくなっており、サービスもニフティーサーブが2006年まで続けたものの、最後には利用者はほとんど居なかったという。
立ち上げ当時や新しいものに触れたときの楽しさ、情熱などはどの時代でもあるものだろうが、そんな中でもあの時代は見るもの、触れるものすべてが新しいものに見えていた時代。
のめり込む度合いも半端ではなかっただろう。
そして、ネットワーク上でのマナーを持った者としてインターネットの世界へと旅立っていった。
今となってはすべてが懐かしい時代、インターネット前夜としてはふさわしいのではないでしょうか。

なお、ニフティーサーブは、今では@niftyとなり、現在25周年記念としてhttp://www.nifty.com/25th/niftyserve/
こんなサイトを作っている。
なお、アプリ版では起動時にダイヤルアップのネゴシエーションの音までするものを作っている。
別に何ができるというわけでもないが(フォーラムごとに掲示板があり、タグを付けてツイートする事が可能になっている)当時を懐かしむ、どんな者だったのかを見てみたいという人はぜひ一度見てみてください。

 

次回のインターネット昔話は

インターネットサービスプロバイダー、ベンチャーの夢を見た業者(予定)をお送りします。

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